スマホやパソコンの普及によって、分からないことや、気になるものを実際に検証し、どういう結果になるのかを、自分自身で体験することなく、簡単に知ることができる世の中。
「百聞は一見にしかず」が、いとも容易に可能な世の中。
動画サイトでは「◯◯をやってみた」「◯◯に行ってみた」シリーズで溢れかえり、私たちの好奇心をこれでもかとあおってくる。
実際に自分自身で経験するからこそ、人生は楽しみに溢れているはずなのに、画面越しだけで満足してしまう世の中に少し寂しさを感じる。
しかし、一方で「独学でフランス語がペラペラになった」「ピアノ初心者が30日でどれだけ弾けるようになるか」「TOEICで◯◯点を上げた」など、自らが経験者として、様々な努力家たちが視聴者に向けて、モチベーションを高めてくれるような動画もある。
偉人の体験談や名言などは、どこか「いや、それはその人が天才だからでしょ?」と彼らの「努力」の部分をすっ飛ばし、「その人だから出来たこと」と他人事のように感じてしまうことが多かった。
が、実際に成功者たち自らの言葉で語られる体験談やアドバイスには、画面越しであるにも関わらず、とてつもない重みと説得力を感じるのだ。
「どんなこともやればできるんだな」と、勇気と希望を与えてくれる。
今から19年前。まだそんな動画サイトが世間には普及していなかったころ。
私はある1人の男性の成長を、テレビで食い入るように見ていたのを覚えている。
お笑い芸人、ナインティナインの
岡村隆史さんが、あの
劇団四季『ライオンキング』の出演を目指して奮闘している光景は、当時小学生だった私をこれでもかというほど惹きつけた。
岡村さんは「ダンスが得意」というのはご存知の方も多いことだろう。
しかし、劇団四季のダンスは「得意」や「センスがある」だけでは踊ることはできない。
全てのダンスの基礎であるクラシックバレエ未経験者には到底踊りこなせない振りばかり、かつ、毎日の厳しいレッスン、そしてオーディションを勝ち抜いた者だけが立てる舞台で魅せことができるダンスだからだ。しかし、岡村さんはやってみせた。
テレビだから、芸能人だからではない。
「努力」、ただそれだけで乗り切った。四季のダンサーの中でも選ばれし者しか踊りきれないダンスを舞台上で見事に踊ってみせたのだ。
数えきれないほどの役者を何十年も見てきている、今は亡き劇団四季創立者の浅利慶太さんにすら
「この人はすごい。本当に本気の人だね。」と真顔で言わせたほど。テレビでは映らない裏側でも、想像を絶するレッスン量をこなしていなければ絶対に出ない言葉である。半端な気持ちでは、間違いなくこなせない仕事だ。
人を楽しませる、笑わせるお笑い芸人さんに
「感動」を覚えたのはその時が初めてだった。
これが、「カッコいい」ということなんだと、小さいながらに憧れの眼差しで「岡村隆史」という努力家を見つめていた。
今はありがたいことに、わざわざテレビを付けなくても、アプリ一つで、彼のような様々な努力家の経験を簡単に聞くことができ、見ることができ、人に伝えることができる時代。
しかし、こんな身近に自信をを与えてくれる機会が転がっているのにも関わらず、「自分にはこんなの無理」や「そんなの難しすぎる」と自らの考えだけで、未来を閉ざしてしまう人も少なからずいるのかもしれない。
実は、先程紹介した番組でのエンディングには、こうナレーションが入る。
「無理」だとか「困難」だとかという言葉がこの世にあるからこそ、同じく「挑戦」とか「奇跡」とかいう言葉が、いつの日も我々に「勇気」を与えてくれるのだ。
「困難」を乗り越えられなくたって決して「ダサく」はない。「困難」にあえて「挑戦」していくことこそが、「カッコいい」のだ。自分の生き方は自分自身で輝かせる、それが人生だ。