「目黒さん、今度接待させてください!」
先日、唐突にかかってきたかつての職場仲間からのお誘い電話。
僕のために何件ものお店を候補として探してくれたらしい。
以前に勤めていた会社で、苦楽を共にしてきた戦友と呼ぶべき仲間3人が、今回の話を持ちかけてくれた。
今はそれぞれが独立をして、各地で学習塾を開いている。ここ数年、会えるのは年に数度だが、会えば「勉強会」のように、一つのテーマでじっくりと話し込む濃密な時間を共有してきた。
「接待」という言葉通り、昨夜は、何から何までお世話になりっ放しだった。待ち合わせ場所からの車での移動(「飲む」なら自宅までお迎えに伺います…とも)、美味しくて豪華な料理の数々、食後の喫茶店でのコーヒー、夢現塾教師たちへのお土産、僕の家族への手土産と入学祝い…。思い出話に花を咲かせ、近況を報告し合い、お互いの未来を語る。
苦労も喜びも共にしてきた仲間だからこそ、今は笑い話として花を咲かせ、明日への活力となるような言葉をおくりあえることは、本当に楽しいし、ありがたい。ましてや今回は、こんな予想以上の「接待」を受け、お腹も心も幸せな気持ちで満たされた。お三方、この場をお借りして心よりお礼申し上げます。
先日卒業した夢現塾生たちの作文を読んでいると、「仲間がいたから頑張れた」というフレーズの多さに誇らしい気持ちになる。毎年のように目にするフレーズだし、世間一般にもありふれたフレーズかもしれない。でも、夢現塾生として過ごし、楽しいばかりではなかったはずの受験期を、仲間と共に乗り越えた実感として書き記している点に、その言葉の重みを感じ、感慨深い思いになるのだ。それは僕も、経験してきた故の感慨深さなのだろう。
そして、もう一つ「人生の指針を学んだ」というフレーズも嬉しい。「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」(空腹の人に魚を与えても、一時的に飢えをしのげるだけで、根本的な解決にはならない。いつでも自分の力で魚を手に入れられるように、魚の釣り方を教えるのが正しい。)出典については、老子の言葉説やユダヤ系説など諸説あるが、教師という仕事をしている僕が常に念頭に置いている言葉だ。
簡単に、目の前の問題(困難)を助けるのではなく、学んだ知識を工夫して考える力を育て、生きていくために身につけるべき大切なことを、ちゃんと教えることができれば最高だ。
今の時代、一つの方法を学んでも、それが使えなくなった時に、自分でその方法を思いつくための思考の方が重要だから「魚の釣り方を教えよ」では古い。「魚の釣り方は自分で考えろ」という意見もある。しかし、指針というべき基本がないところにアイデアは生まれないと、僕は思っている。ただ、その基本を手取り足取り教え、子どもが自分で考えて行動しなければならない領域にまで踏み込み、助けようとすると、必ず弊害が出てくるのだとも思っている。大人が過剰な手助けをすると、自分で考える力が育たないからだ。勉強に関して言うならば、中2前半くらいまでは通用しても、それ以降は通用しなくなるだろう。その匙加減は難しい。だからこそ、教師が肝に銘じなければならないことだと、強く思っている。
夢現塾は「頭と心を育てる総合学習塾」がテーマの塾だ。頭と心を磨く中で、子どもたちが、自分の頭で考え、将来自立して生きていくための「生き方の指針」を学んでくれることを願いながら、今日も教壇に立っている。