※やきいもの話ではありません。(笑)
『人を喜ばせることが好きだ。』
昔から私にはこういう性分があると思っている。
保険をかけておくと、必ずしも結果として完璧に相手が喜んでくれているかはわからない。
また、申し訳ないが、なりふり構わず「誰でも」を対象にしているわけではなくて、
家族とか友人とかお世話になった人など
自分にとって「大切」と思う人にはそうふるまっているつもりである。
こんな事をしたらよろこんでもらえるかなぁ。と考えながら行動するのはワクワクする。
たとえば…
学生時代、あるあるであろうが年度末に先生たちや先輩に贈る寄せ書きなんかは
必ずと言っていいほどリーダーとして取り仕切っていた。
中3のとき、学級委員として、クラス全員に対してクラス全員から一言メッセージを書き合うという企画を行った。
当時のクラスメイトたちはどう考えていたかわからないが、私にとっては、
あまり話したことないクラスメイトがこんな風に思ってくれていたんだな~とわかったり、
面と向かって卒業アルバムに寄せ書き書いて~と言えない子ともメッセージを送り合うきっかけとなり、面白くていい企画だったなぁと自画自賛している。(笑)
友達の誕生日や家族の誕生日なんかは特に気合が入る。
小さい頃は喧嘩ばかりしていた妹とも、毎年プレゼントを贈り合っている。
そんなあるとき、こんな言葉をみた。
『人は、無意識に自分が人からしてもらいたいことを相手にしている』
と言う言葉。
たとえば、人からプレゼントでもらったものは、深層心理(?)ではその人自身がほしいなぁと思っているものだったりするそうだ。
確かに私も、卒業時に寄せ書きをもらうと大変うれしい(笑)
さて、遠回りに長くなったが
何が言いたいかと言うと、そんな風に生徒たちが「夢現塾の先生たちのために」
と考えて行動してくれることはとても嬉しいということだ。
小6生の修学旅行シーズン。
気を利かせてくれる生徒たちがたくさんのおみやげを買ってきてくれた。
数多くの品物のなかで、「○○先生がこういうの好きって言ってた!」とか
「おいしそうだから買ってきた!」とか私たちのことをわざわざ修学旅行先で思い出してくれて持ってきてくれた。
特に緑丘校の生徒たちは、私が「お餅が苦手」と漏らした個人的な事情をきちんと覚えていて、一つも『八つ橋』のお土産がなかった。
おかげで今年は、おいしくいただくことができている(笑)
またつい先日も、卒業して高校生になった生徒が、もう通っていないにも関わらず修学旅行のお土産をもってきてくれた。
さらに、友達とレジンづくりにはまっている!という生徒から
わたしのイニシャルがかたどられたキーホルダーもいただいた。
「へたくそだよぉ・・・」と謙遜していたが、とってもとっても嬉しかった。
わたしたちは生徒たちに授業をしながら
生徒たちのために、喜んでもらうために、幸せになってもらうために
精一杯の行動をしていくことが仕事だ。
ものをもらうことがすべてじゃないけれど、塾以外の生活の中で
ふとこうして思い出してくれるのはとても喜ばしいことだ。
心が『ほくほく』した出来事であった。