ある日の夜。私は意味もなく幼稚園や小学校低学年の記憶ぼんやり覚えていること、はっきり覚えていることを、頭の中でなんとなく分けながら眠りについたのだ。
《ぼんやり覚えていること》
・幼稚園でのおゆうぎ会での「キジ役」「大根役」
・お泊まり保育
・小学校の入学式
・お道具箱の重さ
・運動会で披露したダンス
《はっきり覚えていること》
・ジャングルジムの頂上からの転落
・フェンスからの転落によって後頭部に縫合処置を受けたこと
・遠足、家族旅行先での階段からの転落
・同じ通学班のともちゃん
人間は衝撃や恐怖は身にしみて覚えている。小さい時にあちこちから落っこちていた私は、ほとんどの記憶が恐怖体験によってジャックされている。悲しいかな、4才の私に施された縫合処置後には未だに髪の毛が生えてこない…
そんな思い出と共に1つだけ、はっきりと鮮明に覚えているのが「ともちゃん」だ。
初めての小学校への登校日。人見知りMAXの私は、初めて関わる年上の学生たちにとてつもなく怯えていた。誰とも話せず、登校初日に無言を貫き通した結果、他のお兄さんお姉さんたちの「ねえ、なんかしゃべってよ」「静かなんだね」という声が頭上に飛び交った。
とにかく初めての環境が怖かった。習い事も幼稚園も初めての環境が何よりも苦手だった。
そんな私に「ありさちゃん、よろしくね!なんでも聞いてね!」と私の手を引き、一緒に歩いてくれた初めての先輩が当時小学5年生のともちゃんだった。
右も左も分からない環境に私が入れるよう、引き寄せてくれたのはともちゃんだった。
そんな大好きなともちゃんには、彼女が小学校を卒業した機に会わなくなった。
4年離れていることもあり、中学ももちろんかぶらず、帰宅する時間帯も違うため、近所とはいえど1日も会うことはなかった。
そして、20年経った今も未だにともちゃんには会えていない。
が、先日のことだ。
「ねえ、ともちゃんって覚えてる?」と母からの質問が飛んできた。
「ともちゃんね、小学校の先生やってるんだって!なんか卒業文集にも先生になりたいって書いてたみたいなんだよね」
不思議だった。
私の記憶の片隅にいるともちゃんは、まだ小学5年生。
でも今は、大人になって夢を叶えていた。
卒業文集にだいたい書く欄がある「将来の夢」。あの夢を叶えてる人はどのぐらいいるのだろうか?
あの時描いた夢や大人像。漠然と書いたり、真剣に書いたり、いろんな気持ちで書いた「将来の夢」。
改めて考えると、私自身そして私の周りは、もう今その「大人」に成長しているんだなとふと気付いた。
「学校の先生」になりたいと書き、夢を叶えたいともちゃんをはじめ、「サッカー選手」になりたいと書き、実際にサッカーチームに所属して活躍している友人や、「公務員」になりたいと書き、今は市役所で働いている子。
希望通りの道を歩んでいる子も、希望とは違った道を歩んでいる子も、みんながあの時「思いを馳せた将来」を私は今生きている。
私の卒業文集に書いてある夢はこうだ。
※当時ブームであった”まる文字”で書いてあり、読みづらく申し訳ないです…
私を引っ張ってくれたともちゃんは、今やたくさんの子どもたちを引っ張っていっているのだろう。場所は違えど、私はここで子どもたちを夢現へと引っ張りたい。記憶の中にいる、逞しいともちゃんのように。