2歳から中学3年まで続けたピアノを、最近になってまた始めた。
現在、加納家は引っ越しを考えているところなのだが、「ピアノはどの部屋に置こうか?」と父と母が話し合っているのを聞いてしまった。ピアノなんてもう十数年触ってもいないため、てっきり処分してしまうものだとばかり思っていたのだが、父が幼いころからあったというピアノ。現在、加納家でピアノを弾くことができるのは私しかいない。その私がもう物置きと化したピアノに近づいてもいないのだ。
にも関わらず、搬入だけでも数万かかるこのピアノを、わざわざ新居に持っていくという話を耳にして以来、私の中のざわざわは止まらなかった。
「これはまた始めろというチャンスなのでは?」となぜか、見向きもしなかったピアノを見つめることが多くなった。
実は、ピアノに関しては長年、大きな心残りがあった。
私にはずっと弾いてみたいと思っていた曲があったのだ。
久石譲さんの「Summer」。
https://youtu.be/l0GN40EL1VU?si=RzvYZwiZy9Xo-TQQ
きっかけは、当時自動車のCMで使われていたこの曲を、音楽室で友人が実際に弾いていたことから始まった。お世辞にもプロとは程遠いレベルの演奏ではあったが、生で聞く「Summer」は、一音一音が輝きにあふれ、美しくも切なさを感じさせる旋律に、私はすっかり心を奪われた。
どうしても弾いてみたかったのだが、私の習っていたピアノ教室では、先生が用意した課題曲しか楽譜はもらえず、レッスンもつけてもらえないため、当時は完成度がそこまで高くない自己流の耳コピで「弾けているつもり」になっていた。
しかし、本当はずっと思っていたのだ。
いつか必ず、譜面通りに、作曲者の想いが込められた音を一音ずつ正確に、美しく奏でられる自分でありたい、と。
そんなわけで、先月。ピアノの上や椅子の上に置かれた荷物を綺麗さっぱり片付け、インターネットで入手した、十数年越しの自分の願いの一歩となる、「Summer」の楽譜をついに譜面台に置いたのだった。
もうそれだけで、たまらなく嬉しかったのだが、本番はここからである。
十年以上のブランクという壁に、開始1分でぶち当たった。
久しぶりにピアノに向かい、蓋を開け、鍵盤に指を置いた瞬間に思い知ったのだ。
あの頃の感覚はもう手元にはなかった。
鍵盤の幅も、鍵を打つ強さも、何一つ思い出せない。
長く伸ばした爪が鍵盤に当たってカチカチと鳴り、指は思うように立たず、滑る音だけが空回りした。
昔なら数回弾けばすぐに覚えられた、たった5小節ですら、何度繰り返しても形にならない。
必ず同じ場所で指が迷い、何度もつまずく自分に、思わず心が折れそうになった。
悔しい、悔しい… その度に、動画を開いて久石譲さん本人の演奏を見る。
蝉の声、照りつける太陽、夏空、吹き抜ける風、夏の終わりの少し寂しい空気。すべてがこの曲には詰まっている。
聞く人全員を、誰しもが経験したことがある、“ある夏の日”に引き込んでくれるのだ。
「
私も弾きたい…!!!」
だからこそ、どんなに弾けなくても、私はまた鍵盤に向かうしかなかった。
気づけば、ピアノを弾くたびに父が点数をつけてくれるようになった。
最初は30点だった演奏は、今では80点を超えた。
それでもまだ完璧ではない。が、一曲通して弾けるレベルにはなった。
昔より時間がかかる。
一度で覚えられない。
けれど、諦めずに鍵盤に向かうたび、指が少しずつ覚え、音が形になる。
できなかったことが、少しずつ自分のものになっていく。
その手応えが、今の私にとって何より嬉しい。
できると思っていたのにできないことに、誰だって直面する。
勉強も同じだ。
期末テストの結果を見て、思うようにいかずに落ち込む人もいるだろう。
だが、結果はただの通過点だ。
向き合わなければ、何も変わらない。
悔しいなら、見つめ直すしかない。
何ができなかったのかを知り、どうすればできるようになるかを考える。
繰り返す。その先にしか、本当の「できる」はない。
今ここからだ。
鍵盤に置いた指が少しずつ旋律をつくるように、
ノートを開き、何度も問題に向き合うことでしか、未来は変わらない。
期末テストの復習を、徹底しよう。
君たちの「できない」は、今日から「できる」に変えられる。
悔しさを力に変えて、また鍵盤に向かうように。
君たちもまた机に向かい、できることを増やしていこう。