昔から、部屋にアートを飾ることに少し憧れがあった。
美術に詳しいわけではないし、専門的な解説ができるほどの知識もない。
それでも、「これ、好きだな」と感じる一枚が、日常の中にある暮らしには、ずっと惹かれてきた。
海外旅行に行くと、どの国でも、ほとんど当たり前のように美術館がツアーに組み込まれている。
特にヨーロッパは名作の宝庫だ。教科書で見たことのある作品や、美術史では有名すぎるような作品を、実物で見る機会にも恵まれてきた。
正直、マニアと言われる人たちにはたまらない環境だったと思う。
数年前にドバイのルーブル美術館で見た、ダヴィッドの『サン=ベルナール峠を越えるボナパルト』。
教科書では一枚の写真だったその絵は、実物は人の背丈をはるかに超え、
馬の筋肉や、風をはらんだマントの動きまで、圧倒的な情報量で迫ってきた。
スペインで見たピカソの「ゲルニカ」もそうだ。
「え、これってこんなに大きいの?」と思わず声が出たほど、
一枚の絵が空間を支配していて、写真では決して分からない重さがあった。
特別に美術に詳しいわけではない。
ゴッホ展やモネ展があれば行く、いわゆるミーハーだ。
大学時代は、友人と美術館に行って、「これ好き」「なんか落ち着くね」と、感覚的な話ばかりしていた。
それでも、不思議なことがよくあった。
展示室でふと足が止まり、
「うわぁ……この絵、素敵……」と心を奪われる。
作者名を見ると、だいたいクロード・モネ。
そんな経験を、何度も繰り返してきた。
モネは生涯にわたって「連作」を数多く残した画家だったという。
連作とは、同じモチーフを、時間帯や天候、季節を変えながら何枚も描くこと。
《積みわら》の連作では、朝と夕方、晴れと曇りで、色も空気もまったく違う。
《ルーアン大聖堂》では、同じ建物なのに、光の当たり方ひとつで石の色が変わって見える。
ロンドンの《国会議事堂》の連作では、霧や光によって、建物の輪郭が溶けていく。
モネが描いていたのは、完成された「形」ではない。
目の前にある一瞬の光、空気、時間。
二度と同じには戻らない、その瞬間だったのだと思う。
勉強もそうだ。一日で完璧になることはない。
でも、今日の一コマを、次の日につなげていく。
それを繰り返した先に、ある日ふと、見える景色が変わる。
夢現塾の冬期講座は、君たちにとっての「連作」を描く時間なのかもしれない。
一日一日の積み重ねが、あとから必ず意味を持つ。
この冬、地道に描き続けよう。
春になったとき、「この冬、ちゃんとやり切った」
そう胸を張って言える自分になるために。