自分が授業で使うテキストにはメモ書きが残されている。授業で使えるネタや問題、その場で行った計算の痕跡、次回テストの範囲ページ、来年の授業への布石のための生徒が苦戦した問題チェックなど。テキストの空欄のところどころに残されている。
限られているスペースへのちょっとしたメモ書きであり、その場で対応できればいいという目的のものが多いため、ほとんどがざっくりと書かれているが、1年後にそのページを開いたときでも、だいたいは何のメモかは記憶に残っている。
ごくまれに何のメモか瞬時に思い出せないものがある。こういうときは焦ると思うかもしれないが、どちらかといえば楽しい時間の始まりである。だいたい雑なメモほど重要度が低いはずで、それを1年越しに思い出せるかという記憶力チャレンジの開始だからである。そして思い出したときに、やはり重要度の低さに心の中で苦笑いというパターンである。
(残されていたどうでもいいメモの例…ピザ・マグロ・キッチン・好き)
しかしである。残すメモには重要度が高いものも当然あり、その場合は思い出せないメモでは意味がない。せっかく記録したのであれば、記憶としてよみがえさせることができる工夫が必要だ。
これはテスト勉強でもそう。何でもかんでも赤ペンや蛍光ペンを使って線を引いたり、付箋を貼ったりするだけでは記憶につながらない。せっかくそのような工夫をするのであれば、それをどう記憶につなげていくかだ。例えば1度テストしてできなかった英単語にだけ蛍光ペンで線を引く。1回目に解けなかった問題は赤で番号に〇をつけ、2回目でも解けなかった問題は青で〇をつける。1週間後にやり直しをすると決めたページに付箋を貼る。そんな自分なりの工夫で記録していけば、いつ何を勉強するべきかの優先順位もつけることができ、より記憶に残る取り組みができるだろう。
縄文時代や弥生時代の日本には、文字という記録する手段がなかったために今でも未知の部分が多い。土偶や銅鐸を何に使ったかの記録は残っていないのだ。平安時代の初期(800年ごろ)に三河地方で銅鐸が発見されたとき、「謎の銅器」が出土して都に送ったという記録が残っている。そう、平安時代の人たちにも、記録されていない弥生時代の銅鐸の記憶は残っていなかったのだ。
記憶に残すために、思い出すために、次につなげるために。