先日、書店で「偽書(ぎしょ)」に関する本を購入した。
「偽書」とは歴史学上、制作者や制作時期などの由来が偽られている文書や書物のことだ。この偽書という存在を知ったのは、入学して間もない大学でのある教授の講義だった。
『みんなが歴史で覚えた「慶安の御触書」。あれは偽書、つまりニセモノだからな。』
「????」
いきなりの発言に訳が分からなかったが、教授の説明によると、1649年に江戸幕府が農民統制のために幕府の法令として出されたとされる「慶安の御触書」というもの自体は存在せず、100年以上後の書物に、幕府が当時「慶安の御触書」という法を出したと紹介されているだけだというのだ。
今では教科書から削除されたり、『出されたとされる』というあいまいな表現になったりと、なかったことになりつつあるが、当時は必死に覚え「常識」となっていた脳内の歴史年表から「1649年慶安の御触書」を消去するのは一筋縄ではいかなかった。
以前の日報でも書いたが、今年は新型コロナの影響で、今までの常識が消え去り、新しい常識が次々と生まれている。それだけではない。その中で飛び交う真偽不明のあふれんばかりの情報。それらをいかに正しく理解・判断し、対応する力が試される時代が一気にやってきたという感じがする。
『今年度は基礎的・基本的な事項をより重視して出題する』
例えば愛知県教育委員会から発表された今年の公立高校入試の出題に関する情報。これは真実の情報ではあるが、これをどう理解・判断し、対応するかがカギとなる。
と、偉そうなことを書いたが、レジで「袋はご利用ですか」と聞かれ、ハッとする自分。書店にエコバックを持っていくという新しい常識にはまだ対応できていないようだ。