「今は昔、竹取のおきなという者ありけり・・・」
「祇園精舎のかねの声、諸行無常のひびきあり・・・」
少し前の小5の国語の授業。生徒たちの声が教室中に響く。「第3058回古文暗記大会」と銘打ち、時間内で「竹取物語」と「平家物語」の冒頭部分を覚えるという抜き打ちテストを実施した。「えー。」「ムリー。」と笑顔で応え、文を手で隠したり、ぶつぶつ呪文のように唱えたりと、それぞれが工夫しながら一生懸命暗記にはげむ姿がほほえましい。
そういえば学生時代に暗記した古文・漢文の文章は意外と頭に残っているものだ。
賈島赴挙至京、騎驢賦詩、得「僧推月下門」之句。・・・(以下略)
意味:賈島という人が科挙の試験を受けるために都の長安にやってきて、ロバに乗りながら詩を作っていると、「僧は推す月下の門」という句ができた。・・・(以下略)
頭に浮かんだのは『推敲(すいこう)』(詩や文章の字句をあれこれ吟味して練りなおすこと)という言葉のもとになった漢文。全文スラスラと思い出せる。
・・・そういえば暗唱テストがあったなあ。必死に覚えたような気がする。この国語の先生が怖い先生だったからなあ。あ、思い出した。授業中に隣の席の子としゃべっていて、この先生にビンタされたんだ。昼休みにジュースを買う買わないのどうでもいい話だったなあ。それ以降、年末の「笑ってはいけない24時」で蝶野正洋のビンタに恐れる月亭方正のようにその先生を避けるようになったなあ・・・(以下略)。
古文の暗記という事象から、学生時代のさまざまな記憶がよみがえった。いや、よみがえったというより、1つ1つバラバラになって頭の奥底にしまわれていた記憶を、線でつなぎながら掘り起こした感じだ。
暗記したと思っていたことがテストで思い出せないというケース。そのことがらが他のことがらとつながっている線が少ないのかもしれない。つながっている線が多いほど、思い出す可能性は高くなる。
漢字、英単語、社会の語句、数学の公式・・・
ノートに書いて暗記終了ではない。どの問題でどう使うか、どの出来事とどう関連しているかなど、線で結び付けていくことが大切だ。
『点で覚えるな。線でつなげて覚えるのだ!』