アメリカに住んでいる友人
(日本人の子)が今帰国しているそうで、先日久々の再会を果たした。
お互い連絡を取り合いながら「緊張するね~」「うまくしゃべれるかなぁ」と言ってはいたものの、会った瞬間には「おっ」「よっ」と、近所のスーパーで3日ぶりに会ったようなテンションでの会話が始まった。
募る話はあるものの、結局ふと出る話題は学生のような何気ない会話。
友人「これ見てて?ほら、ここタップするとオムナイトが威嚇してくるの(笑)」
私「ひぃ!かわいい!ニョロゾはいる!?見せて!」
友人「いるよ!ほら。」
私「はあああああ!(悶絶)」
友人「オムナイトはね、今相棒にしてて、エサもあげられるんだよ、ほら。」
私「え、ポケモンGOってそんな進化してるの!?ひゃあああかわいい!!!!!」
30代とは思えない二人の和気あいあいとした会話が、定食屋さんに響き渡る。
ポケモン
(正式名称:ポケットモンスター)といえば、私が小学1年生のときにアニメが始まった。第1話から毎週欠かさず見ていたこと、学校では放課になると『ポケモン言えるかな?』というポケモン150匹の名前が歌詞に入れられている歌を歌えるかというマウント合戦が行われていたことを今も鮮明に覚えている。
アニメが始まる前はゲームで一世を風靡。パイの実の箱と同じぐらいの大きさの緑色のゲームボーイを手に、流行の最先端であるポケモンのゲームをやる兄がうらやましくてたまらなかった。
その後、私も兄が持っている物よりも少し薄くなった当時では最新モデルだったピンク色のゲームボーイを手に、兄の背中を追いかけた。
しかし、小学1年生の私にはポケモンをクリアするのは至難の業だった。
分かることは、人と会い、話し、ポケモン同士を闘わせると「Lv.」(レベル)というアルファベットの後ろの数字どんどん大きくなり強くなっていくということ。「ひんし」という言葉は大ピンチだということ。「きゅうしょにあたった」という言葉は相手に良く技が効いてるということ。と、言葉の理解という壁から困難を要した。
しかし、やり込んでいくうえで炎ポケモンよりも水ポケモンの方が強い、水ポケモンは電気ポケモンには弱い、などの相手の弱点を学んでいった。どういう順でどういうタイミングでどのポケモンを出せば最善か策略を立てることも覚えた。弱いポケモンを強くするため、何度も何度も道端に潜んでいるポケモンと闘い、少しずつレベルを上げていく地道な日々を過ごした。ときには攻略本を開き、解決策のヒントを探ることもあったが、幼いながらによく考え、よく耐え、ポケモンたちの成長に喜ぶ楽しい毎日だったと記憶している。
みんなはポケモンはやったことあるだろうか?
知ってはいるだろうか?
ポケモンをクリアするには
(どこまでをクリアとするかにもよるが)、目標設定することと忍耐力が不可欠である。ポケモントレーナーは自分のポケモンを成長させ、トレーナーとしての地位を高めるために数々のジムリーダーの試合に勝たなければならない。その中で、新しい場所を訪れ、知られざるポケモンとの交流を通じて、常に新しい驚きや発見ができることはポケモンの魅力の1つだろう。
さらに、多種多様なポケモンたちが持つ個性や特徴をベストな状態で活かせるよう、自分の持つ知識の幅を広げ、スキルを持つことも重要となってくる。
塾の教師ともあろう私が、ポケモンの話を熱く語ってしまった
(本当はポケモンよりも勉強に夢中になってほしいなぁ…)が、実はポケモンから得た教訓は勉強はもちろん、今後の人生に多いに役立つものがほとんどなのだ。
・常に目標を設定し、それを達成するために日々自分をレベルアップさせていくこと
・様々な人物がいる中で、自分の強みは何か?スキルはあるか?それを活かすにはどうしたらいいか?を考えていくこと
・ライバルたちと切磋琢磨し、自分を高めていくこと
・勇気を持って未知の世界に飛び込み、新たな視点を発見すること
・自分で解決できないことは、助けを求め人に頼ること、または調べること
これらは全て、ポケモンというバーチャルの世界の中でも現実世界でも共通して言えること。のんびり生きるのも悪くはないが、意識を高く、ハングリー精神を持って生きるゲームやアニメの主人公のように生活する方が人として成長できるのかもしれない。
来年も君たちの沢山の活躍と幸せを願って、今年最後である私の日報をこの歌詞の一部で締めたいと思う。
“ユメは いつか ホントになるって
だれかが歌って いたけど
つぼみがいつか 花ひらくように
ユメは かなうもの
いつもいつでも うまくゆくなんて
保証はどこにも ないけど
いつでも いつも ホンキで生きてる
こいつたちがいる”
-初代オープニングテーマ『めざせポケモンマスター!』より-