11/3(金)雲一つない快晴の中、普段より少し早起きをして、豊川と豊橋で高校時代からの友人2人を車に乗せて約4時間。
40代のおっさん3人が向かう先は、横浜みなとみらいの
「Kアリーナ横浜」だ。
そう。本来なら15分ですむところ、横浜駅まで2時間かかったとクレーム殺到で話題のところだ(笑)
9月29日に杮落し(こけらおとし)が終わったばかりのこの
「Kアリーナ横浜」は、みんな大好き
「アンパンマンミュージアム」のすぐそば、これまた9月にオープンしたばかりのホテル「
ヒルトン横浜」に隣接する。
おっさん3人の目的は、
「モトリー・クルー/デフ・レパード」の来日公演。
僕らが高校時代に音楽にどっぷりハマり、夢中になったバンドの1つが、この
「モトリー・クルー」というバンドなのだ。
高校生の頃、CDを貸し借りして、カセットテープ(わかるかな?)にダビング(※録音)して聴きまくったバンドで、ファイナルツアーと言われた前回(2016年)の来日公演を観逃してしまった僕らは、もう2度と観られないのか・・・と諦めていた。
ところがその後、モトリー・クルーは
『ツアー停止契約書』を爆破(笑)。
今年の2月からは、待望のワールドツアーが始まった。
(実際の爆破の様子はこちら↓)
でも今日は、その僕らの青春のバンド
「モトリー・クルー」の方ではなく、僕ら3人にとっては正直言うと
”オマケ” だった
(失礼!)、もう
1つのバンドの
「デフ・レパード」について書こうと思う。
「デフ・レパード」・・・1980年『オン・スルー・ザ・ナイト』 でレコードデビュー、翌年1981年には、2ndアルバム『ハイ&ドライ』 をリリースする。
続く1983年には3rdアルバム『炎のターゲット』をリリースし、同アルバムからシングルカットされた『フォトグラフ』は、MTVのリクエスト放送で、マイケル・ジャクソンの『ビート・イット』を超える支持を集め、全米シングルチャートで12位を記録する大ヒットとなる。
その後、アルバムは年内に600万枚を売り上げ、全米チャートではマイケル・ジャクソンの『スリラー』に次ぐ、最高2位を獲得するまでとなった。
そんな順風満帆に見えた彼らに、1984年の12/31の大晦日、ある悲劇が襲う・・・。
ドラマーのリック・アレン(当時21歳)が運転する愛車コルベット・スティングレーが、交通事故を起こし、彼は車から投げ出され、左腕を肩から完全に切断されたのだ。
(当時の新聞記事↓)
ドラマーにとって、いや全ての楽器を演奏する者にとって、腕を失うというのは致命的である。
もはや誰もがリックのドラマー人生の終わりを思ったが、彼もバンドもここで終わることはなかった。
彼は、左腕を失っても自分には右腕と両脚がある、というポジティヴな発想で、エレクトリック・ドラムのメーカーであるシモンズ社の協力を得ながら、左腕で叩くべき部分をフット・ペダルでの演奏で補うことが可能な、彼専用のドラム・セットを開発する。
そして猛練習を重ね、そのシステムでの演奏を可能にしていった。
事故から約1年8ヶ月後の1986年8月16日、『モンスター・オブ・ロック』というロックフェスで、リックは正式にバンドに復帰した。
その1年後の1987年8月にリリースされた、4thアルバム『ヒステリア』は、当時全世界で1000万枚以上、そして現在までに3000万枚をを売上げる、ロック史に残る名盤となった。
先ほど、”オマケ”と書いたように、僕ら3人とも、デフ・レパードはこの日までそれ程興味があったわけではない。
僕自身アルバム(CD)は買うけれど、レップス(デフレパードの呼称)単独公演なら、わざわざコンサートにまで行くことはないな・・・と常々思っていた。
友人2人にいたっては、1,2曲しか知らないので、1カ月前から慌ててベストアルバムで予習をしていたくらいだ。
それがどうだろう。
1曲目の開始早々、僕ら3人ともその演奏力のすごさに、すっかり打ちのめされてしまった。
メンバー全員60代、40年以上のキャリアはやはりダテじゃないということか。
そしてこのリックのプレイが隻腕で演奏してるだなんて、知らない人がこの音を聞いただけで誰が気づくことができるというのだろうか?
僕たちは得てして、「あれがないからできない」とか「これがないからできない」と、できないことを言い訳をして、色々なことを諦めてしまう。
”できないこと” ではなく ”自分にできること” を探し、ひたすら努力し、そしてさらに前へ進む。
その結果、更なる飛躍をとげたリック・アレンというドラマーと、彼なしならバンドの継続はしないとまで言った他のメンバーたちの友情の歴史に、思わず胸が熱くなった夜だった。
ありがとう、リック・アレン、最高の演奏でした!!
最後に、「オススメ1曲」をということで迷いに迷ったけど、1995年発表の切ないバラードを。
大学時代、失恋した時に何度も聴きました(笑)