他人には理解されがたい…、理解されなくていい…、理解してほしくない…、そんな趣味や考え方の一つや二つ、みなさんにはあるだろうか。私がこれまでに友人に話して全く理解してもらえなかったのは、「気持ち悪い数字」という感覚である。
こんなことを言うと、数字に強いと思われることも多いのだが、それとこれとはまた別の話で…。先日は、お会計でキリのいいお釣りをもらおうとしたが、サッと計算ができずに余計な小銭を出して、恥ずかしいことに出した10円玉を清算前に返されてしまった。(笑)
そういうわけで、別に暗算が得意とか計算が速いとか、ではなくて、ただ一つ一つの数字に対して、気持ち悪いかどうかの判断があるのだ。
身近な例でいうと、テレビの音量は5の倍数じゃないと気持ち悪い。家族の誰かが微調節して、28や32に設定していたらすぐに30にする。
何かをまとめて買うときの個数は、偶数がいい。でも、6はなんか気持ち悪い。2か4か8がいい。
そして、最も心休む暇もなく数字と向き合う場面が、車に乗っているときである。前を走る車や、すれ違う車、どの車にもナンバープレートがついているので、これはもう見るしかない。自分で説明しておきながら、なんてしょうもない癖なんだと思う。
ただ車のナンバーに関しては、理論上[・・・1]から[9999]までの9999種類あるということもあって、テレビの音量やまとめ買いの個数のように、私自身規則性を見つけられていない。ただ、パッと見で気持ち悪いか気持ち悪くないかのどちらかに分かれる。
例えば、[1243]は大丈夫だけど、[2533]は気持ち悪いなんて、誰かに話しても分かってもらえないし、私も正直なぜこんな風に感じるのかよくわからない。
ただ、何にせよ、人の考え方や感じ方は本当に多種多様で、またその表現方法も人によって違い、その表現の受け取り方も人によって違う。別に私はこの感じ方を理解してくれとは思わない。けれど、否定はしてほしくないなと思う。
どんな人とかかわるときも、どんな話をするときも、「え、意味わかんない」って否定で終わらせるのではなくて、「私にはわからないけど、そういう考え方もあるのね」って認めて、共感して、一歩だけでも歩み寄ることで、人として成長できるはず。
(ちなみに、数字の話をしたのがキッカケで、車の中で話題がなくなると「前の車のナンバーはどう?」と逆に話題に使ってくれる友人もいるので、意外とこういう話を誰かに話すのもありだな、と思う。)