先日、ネットニュースでこんな写真が目に飛び込んできた。
この看板が掛けられるきっかけとなったのは、大人たちの何気なく発する声が原因だという。この公園には大量のヒキガエルたちが産卵をしにやってくるそうなのだが、子供たちの「がんばれー!」という声の中に、怖いもの見たさの大人たちの「キャー!」という叫び声も響き渡るそう。
子供たちの好奇心を大人の先入観で汚してはいけないということ、小さな生き物も頑張って生きているんだと知ってほしいということでこの看板は設置されたようだ。
我が家にも現在かわいいかわいいイエアメガエルが3匹いる。
が、実はつい先日、大切にしていたカエルの1匹が天国へと旅立ってしまった。
「ただのカエルでしょ?」と思われがちな生き物ではあるが、
一生懸命生きた小さな命だった。
体調が悪いにも関わらず、最期の最期まで大好きなお風呂(カエルは皮膚から水を飲んだり身体を癒すために水に浸かる)に入るために時間はかかりながらも必死に手脚を動かしていた。
どうにか助けてあげたくて、両生類を診てくれる病院にまで連れて行った。生きようとしている命がある限り、自分にできることをしてあげたいと思ったからだ。たった5センチしかない小さな命のために先生は真剣に向き合ってくれた。
動かなくなった姿を見た時は、涙が止まらなかった。いや、この日報を書いている今も思い出しては泣いている。
私にできる精一杯はやってあげたつもりだが、ふとした瞬間に後悔や申し訳なさでいっぱいになってしまうのだ。
「生きている」ということは当たり前ではない。
頭では分かってはいるが、命のありがたみを忘れてしまっている自分がいたことにハッとさせられた。
目の前には小さなカエルからの死という現実。
テレビをつければ「死者○○人」とロシアとウクライナの戦況が飛び交う昨今。以前よりも「生死」を意識する機会が多くなってきたこの頃、つい先日も沢山の方が亡くなられた東日本大地震から11年が経過したというニュース。
「命は有限なんだ」と、様々なかたちで私たちに訴えている気がする。
ご飯を食べ、テレビを見ては笑い、人の言動に落ち込み、疲れたら寝て、起きては朝日を浴びる。「面倒くさい」、そんな負の感情でさえも抱くことができるのは、紛れもなく生きているからこその特権なのだ。
そんな何気なく過ぎていく1日も、「
今日この瞬間を生きたかった命」が必ずどこかにあるということを生きている我々は忘れてはいけないのかもしれない。
当たり前のようにやってきた春休み。
君たちはどう過ごすつもりだろうか。
無駄に過ごそうとはしていないかい?
卒業式や終業式では、1年間過ごした仲間やお世話になった先生に感謝の言葉は伝えたかい?
24時間、いつも君たちに無償の愛を与えてくれる大切な家族に何かしてあげられることはないかい?
自分自身だけではなく、周りの命も同じく有限である。つまり今君たちが関わっている人との時間も有限なのだ。
限られた時間の中だからこそ、1日1日を全力で生きてみよう。全力で考えてみよう。全力で行動してみよう。全力でもがいてみよう。全力で勉強してみよう。全力で遊んでみよう。全力で寝てみよう。全力で尽くしてみよう。全力で感じてみよう。全力で今と向き合ってみよう。
一生懸命に今日この瞬間を生きよう。
命ある限り、今日この瞬間を生きたかった命の分まで。
センチメンタルな内容になってしまいましたが…
春期講座という期間も有限。塾生を全力で鍛えます!