「一富士 二鷹 三茄子(いちふじ にたか さんなすび)」
初夢で見ると縁起が良いとされるものの筆頭は富士山である。中学校1年生国語の教科書にある「竹取物語」でもその名前の由来が説明されていたように、富士山は古くから日本の山の中でも特別な存在である。
織田信長は甲斐の国(山梨県)の武田氏を滅ぼしたあと、安土城への凱旋の旅の途中でわざわざ富士山遊覧をしたことが「信長公記」に書かれてある。坂本龍馬は富士山を見て「日本一の男になる」と言ったそうだ。(これは小説の中のフィクションらしいが)。
富士山周辺に住んでいる人にとっては見慣れた光景かもしれないが、普段見ることができない人にとってはやはり何かを感じてしまう特別な存在感がある山であろう。
東京で生を受けながらも富士山の記憶を焼き付ける前に高知県に連れて行かれた僕にとっても、富士山は引きつけられる存在である。これまでも関東方面に出かけるときは、富士山を意識した旅程を立てていたのだが、あいにくそのいずれも天候に恵まれずに心のモヤモヤが続いていた。
そしてこの冬、その鬱憤を晴らすべく、雲一つない晴天の日を狙って早朝から富士山に向かって車を走らせた。高速道路から見える雲一つかかっていない富士山に興奮し、この天気が続いてくれと願いながらの道中。途中で山頂付近に雲がかかった時間があったものの、引き寄せられるように予定になかった朝霧高原まで足を伸ばして拝んだ富士山の姿は、一生忘れることはないだろう。
新年を迎え、新たな気持ちで夢現塾に来る生徒たち。そんな生徒たちを迎える教師として、富士山のようにといったらさすがにおこがましいが、生徒たちの心を動かし、行動に移させるような存在でありたいと思った1日だった。