先日、大学時代の友人の結婚式に参列した。
彼女と初めて話すようになってからまだ数日ぐらいのことだろう。
「これ貸してあげる」と1枚のCDを渡された。
そう、そのCDこそ「劇団四季 ライオンキング」のCDだったのだ。
私の人生や考えに寄り添ってくれる、華やかにしてくれる劇団四季という喜びを教えてくれたのは、間違いなく彼女から始まった。
フットワークは羽根のように軽く、観劇目的以外にも彼女とは日本全国、時には海外にも足を運び、数え切れないほどの経験をした。
ジンベイザメと泳いだり、瀬戸内海の島々を自転車で爆走したり、一時は週1ペースで東京に行っていた時期もあったり…
そんな親友(「親友」以上の言葉が存在しないのが歯痒くて仕方がない)が、その日は私の前で見せる顔とはまた違った顔で微笑んでいた。
落ち着いた、幸せそうな顔である。そして、新たな人生を進んでいく、強く前向きな顔であった。とてつもなく美しかった。
ふと他に目を向けてみると、同じような顔をしている方が他にもいることに気づいた。
新郎側・新婦側のご両親だ。娘、息子のために挨拶をする姿、参列者に頭を下げ日頃の感謝を伝える姿だ。
新郎側のお母様のお話の中に、こんな言い回しがあった。
「
2人の人生を彩ってくれた方々」
人はひとりでは生きていけない。必ず誰かの支えがあり、誰かとの関わりがあり、誰かとの繋がりの中で生きている。
ただ過ぎていく人生の流れに彩りを与えてくれるのも「人」なのだ。結婚式を後にし、私はそのまま授業へと向かった。目の前には、私の人生に彩りを与えてくれる「人」である生徒たちの笑顔が広がる。
そんな彼らの目の前にいる「人」の一人として、私が存在している。私が関わる事で、彼らの人生がさらに彩るよう、両親からもらったこの名に恥じぬ生き方をしていきたい。
「
生彩(ありさ)」として。