体育祭、文化祭、何かと祭ることが多いこの季節。やはり青春の思い出といえば、一番にと言っても過言ではないぐらい、学校行事の瞬間瞬間が思い浮かぶ。そのぐらい学校行事とは、青春を送っている学生諸君には欠かせない大大大イベントなのだ。
しかし、運動音痴の私は体育系の行事が大嫌いな学生だった。
ベストオブ大嫌い行事といえば、「体育祭」「球技大会」「マラソン大会」。
とにかく
「どうしたら逃げられるか」ということしか考えていなかった。そんな体育に関して怠惰な私は、体育祭では決まって数ある競技から必ず選ぶ種目があった。
「走り幅跳び」だ。
そもそも、走れない・跳べない・ルールを知らない、この三拍子そろった私がなぜ走り幅跳びを選んでいたのか?
「走り幅跳び」「走り高跳び」「砲丸投げ」この3つだけは、体育祭の予行演習に本番が行われ、観覧も自由なのだ。しかも、中でも走り幅跳びはなぜか誰にも見られない。いや、誰も見にこないのだ。みんな、人気の走り高跳びに夢中だからだろう。観覧者はほぼ先生のみ。つまり、大失敗を犯しても無傷でいられるというわけだ。そんな不純な理由で、私は中1、中2と2年連続、走り幅跳びの選手に立候補し、活躍(自負である)をしてきたのだった。
が、今も忘れない中3の体育祭のこと。
競技決めで、私は毎年のように「走り幅跳び」に手を挙げた。しかし、周りを見渡すとライバルが数人。ジャンケンをするよう促され、見事に玉砕したのだ。まあまあ、私には「障害物リレー」が残っていると、安心しながら挑んだ新たなジャンケンにもまた玉砕。
負けた者、いや、ただの負けた者ではない、クラスでぶっちぎりの運動音痴である私に待っていたのは「100m走」という地獄の競技だった。
100m走といえば、ハードル走と並ぶぐらい体育祭を盛り上げる種目であり、全学年に応援歌を歌われながら、これでもかと注目を浴びる種目。そのため、どのクラスからも「短距離が得意な子代表」が必ず選手として選ばれるのだ。
にも関わらず、私は選ばれてしまった、いや、ジャンケンの神様に見放されてしまったのだ…
そんな、運命の体育祭当日。
「100m走の選手の方は、スタート地点に集まってください」という、公開処刑執行を告げる声が校庭に響くと、私は深呼吸をしながら指定の場所に向かった。
が、そこに待っていたのは、予想外の光景だった。足が速いことで有名なバレー部の子や、現役陸上部の子、その他、スポーツ大好きです!的な熱いスポーツマンシップを抱いている系女子たちが、走る前のストレッチなのだろう…全力でウォーミングアップをしていたのだった。
そこに紛れ込む、マクドナルドが大好きなぽっちゃり体型の吹奏楽部代表、加納。
言うまでもない。
震え上がった…「よし、じゃあ準備しろよー」と先生が指示を出す。すると、みんながある器具を慣れた手つきで調整し始めた。ズラッと一直線に並ぶその器具と、私はその日初めて会った。
「スターティングブロック(以下、スタブロ)」と呼ばれるこの器具。
周りの選手たちはこれを事細かに調節し、何度も走り出しをしてみては「違うな」と言わんばかりに首をかしげると、また調整をし直すを繰り返している。
私はといえば…そもそもいじり方が分からない。というか、「これ、何?必要なのの????」という疑問文が頭を駆け巡って離れない。そんなことをグルグル考えているうちに、とうとう時間はやって来てしまった。
それぞれの足幅や走り出しやすさにあったスタブロが並ぶ中、ひとつだけ両足を置く場所が直角のまま反り立っている不自然なスタブロが紛れ込んでいる。もちろん、my スタブロだ。
無調整の直角のため、足を乗せると、つま先のみで体重を支える形となり、案の定ぐらつく。さらに「よーい!!!」という合図とともに、お尻を上げるため、勢いのまま前転しそうになってしまった。
「パァンっ!!!」
空砲が響き渡ると、一斉にみんなが走り出した。私は心の中で思った。
「
50m走、11.1秒をなめるなよ!!!」
50m走クラス最遅の私の周りからは一瞬にして人がいなくなった。全力で腕と脚を動かすが、全然前に進んでいかない。
やっと半分!と思ったぐらいで、すでにほとんどの人がゴールをしている姿が目に入る。残りは自分のみ。耳に入ってくる応援歌。この状況への羞恥心。ああ、なんて辛いんだ…
泣きそうになりながら走る私を、容赦なく煽る「
1組頑張ってください!!!!!」という放送委員の愛のムチ。そんなこんなで私の公開処刑は執行されたのだった…
今思い返せば、笑い話。しかしこの出来事は正直本当に辛い思い出として心の中には残っている。一方で、「
逃げずに頑張ったな自分」という、自己肯定できた思い出としても強く残っている。いつも走り幅跳びに逃げていた自分だが、何かの力によって「これ以上逃げるなよ」という試練を与えられたのかもしれない。
結果はどうであれ「頑張った自分」を全力で褒めてあげられた出来事だったのは間違いない。
「自分を褒める」、これは意外と難しい。特に「自分なんて…」と思いがちな人ほど、これはなかなか出来ることではない。
しかし、どんな小さなことでも、大きなことでも、1日1つは必ず自分を褒められる何かはあるはずだ。
「嫌だけど頑張ってテスト受けてきたな」「今日は1回だけでも挙手できたな」「いつもより早く起きられたな」なんでもいい。
もっと自分を褒めてあげたらどうだろうか?小学生はMJテスト、中学生は中間テストが返ってき始めているが、ダメな部分ばかりを見つめずに、「ここは前よりも解けるようになったな」「前より凡ミスは減ったな」、そういう小さな成長を見つけて、是非自分をたくさん褒めてあげてほしい。
大丈夫!君たちは十分頑張っているよ!みんな、テストお疲れ様!!!