平成31年度、愛知県公立高校入試のA日程の国語で「人間の眼」についての文章が使われていた。入試で使われる文章には興味を惹かれるものが多いのだが、受験生は答えを探すのに必死で、さすがに内容はあまり残っていないだろうが・・・。
さてその文章では、人間の眼の構造自体は他の生物の中でもそれほど特殊ではないと書かれてあった。鳥は紫外線を見ることができ、夜行性の動物は目に入るわずかな光を調節することによって視界を保つと聞いたことがある。確かにそれに比べたら人間に眼の構造は特殊ではないと言えるだろう。
話はややそれるが、小学生時代、視力検査で使われるランドルト環(アルファベットのCみたいなやつ)が並んでいる一番上の
どでかいCマークに、「あれが見えないはずがない」とその必要性に疑問を持っていたのものだ。ところが中・高での『勉強』と『読書』のしすぎで視力が低下し始め(注:一部に若干の誇張表現と虚偽記載があります)、今ではあのマークすらぼやーんとした黒いものにしか映らなくなってしまった自分の眼が悲しくなる。
話を戻そう。その文章にはこう書いてある。人間の眼には『想像力』があるということだ。
実際に見えている場面に経験や記憶を補完する。道具を作るとき、絵を描くとき、人と話すとき・・・。ここを削ればこの形になる。ここに色を付ければ強調できる。この表情をしているから喜んでいる・・・。目に入る映像から想像する力を持っているのが人間であり、その力があったからこそ文明をを築き上げてきたのだと。
見えないものを見る力が人間にはある。そう、未来の自分の姿を想像する力があるのだ。
「夢」を持つこと。その姿を想像すること。そしてそのための道筋を描くこと。
Where there is a will, there is a way. 意志あるところに道は開ける