夕方。僕は暗い部屋から、外を見ていた…。
9/4(火)、台風21号がやってきた。
愛知県は台風の進路予想の中心からは外れていたものの、岡崎市や幸田町の小中学校は前日から『休校』と伝達されていた。
しかし1時間ごとの天気が表示される詳細な天気予報では、暴風は昼過ぎの時間がピークとなっており、夕方以降には風も弱まる表示となっていた。
夢現塾の小学生の授業は時間帯的には厳しそうなものの、中学生の授業はできるかもしれない…。
夢現塾の授業を楽しみにしている塾生達に、魂溢れる授業を行うことができる可能性が少しでもあるのであれば…。
移動時に危険を伴う暴風にさらされないよう、教師たちの出社時間も分かれることとなった。
僕は先発隊の一員として、六名校に出社した。
心配性な僕は、出社時間の1時間30分前には六名校に到着していた。
校舎の周りを点検し、食料も買い込み、台風の襲来に備えた。
しかしその1時間40分後…。
六名校が停電した。
夢現塾史上、初の出来事である。
そして僕の人生においても、初の停電であった(電気の使い過ぎなどの些細な停電を除く)。
すぐにLINEで全教師に連絡をした。
14:17 「六名、停電しました。電話繋がりません!」
今、六名校は大変なことになっていることを伝えたかった。
しかしすぐに復旧。
14:18 「復旧しました!」
恥ずかしいほどの、超短期間の連続の報告である。
まるで“停電に興奮している子どものように思われてしまうのではないか?”という不安。
特に塾長からは、『騒ぎ好きのお祭り男』と思われているであろう僕は、この短時間での復旧を報告したことを悔いた…。
なぜもう少し待ってから「六名校、先程一瞬停電しましたが、特に問題ありません。」と伝えなかったのか?
「電話繋がりません!」の『!マーク』を、なぜ落ち着いた感じの『。』にしなかったのか…。
後悔の波が押し寄せた。
そこにきて、またしても停電。
14:19 「また停電しました。」
またすぐに復旧するかもしれないが、現状報告が第一だと思い、すぐにLINEをした。
“すぐに復旧してほしい”気持ちと、“せめて今度は数十分くらい停電してくれないか”という気持ちと、“復旧しても、しばらくは皆に復旧したことを伝えないでいようか”という、いくつもの気持ちが交錯した。
揺れ動く男心。
しかしこれから、そんな男心を忘れさせるような3時間30分の停電となるとは…。
その時の僕には知るよしもなかった。
【明日の日報へ続く】