塾の先生となり、今日までに数えきれないほどの人数の子ども達と出会ってきた。
そんな中で時々、似ている感じの子を見つける。
卒業生の“○○くん”と現塾生の“△△くん”が、同一人物ではないか?というくらい似ている時もある。
この似ているというのには、いくつかのパターンがある。
①見た目(顔など)が似ている
②性格や雰囲気が似ている
③兄弟や姉妹なので似ている
僕は似ている子に出会った時に、気をつけていることがある。
それは“自分の経験則を用いない”ということである。
『似た顔の子は真面目な子だったから、この子にも似たようなアドバイスが良いだろう』
と“ベテラン教師感”の出る対応を、僕はグッとこらえる。
こういうアドバイスは、別人の子どもには刺さらないことが多い。
(「君みたいなタイプの子は、ランクを落とした高校で活躍した方がいい」などと指導している先生に対して)保護者から「学校の○○先生のアドバイスは本人には合わない」と相談をされることもある。
だからこそ、僕は子ども達の発言や行動などを普段から細かく観察するようにしている。
そして“似ているタイプの子”の情報を重ねないように注意する。
それは兄弟・姉妹にも通じている。
『お兄ちゃんが優秀だったから君も頑張れ!』や『お姉ちゃんは勉強が苦手だったけど君は頑張れ!』などは、下の子からしたらいい迷惑である(…と、僕は勝手に考えている)。
その子はその子なのだ。
似ているのは“外見”や“雰囲気”。または“血のつながり”なだけ。
その子は誰かと似た人生を歩むわけではない。
きちんと自分の人生の主人公として生きている。
その子ならではのアドバイスを、言葉を、解決策を見つけてあげたい。
その答えが出せた時に、僕らと子どもの『歯車』がかみ合い、そして回り出す。
僕は、主人公を応援する“脇役”としての仕事を全うしたい。
“名脇役”となれたら最高である。
似ている人はいても、同じ人はいない。
だから人との出会いは面白い。