先日、東京国立博物館で開催されている『運慶展』を見に行くため東京を訪れた。運慶が制作した各地にある仏像が1度に見られる機会はめったにないので、多くの人でにぎわっていた。(ちなみに岡崎市にある滝山寺の運慶作の仏像も寺外初公開ということで注目を浴びており、人だかりがすごかった)
運慶は東大寺南大門にある「金剛力士像」の製作総指揮で有名な鎌倉時代の仏師であり、彼が作るものは信仰目的の仏像ではあるのだが、アート作品とも言えるようなものが多い。仏師ではなく彫刻家と言っても過言ではない。特に玉眼と呼ばれる仏像の目を本物らしく見せるための手法をとった仏像の顔の表情は本当に「リアル」であった。当時の限られた道具を駆使して精工に彫っていくその卓越した技巧の数々はまさにプロフェッショナルである。魂を込めた技であるからこそ今を生きる人々の記憶の中に生きるのだろう。
さてそんな運慶、夢現塾生と決して無縁ではない。
夢現塾生の多くは、小学校の修学旅行で訪れる奈良で運慶とのファーストコンタクトをとる。鹿に夢中になって南大門を素通りする一部を除き、歴史の教科書の写真ではなかなか伝わらない「金剛力士像」の巨大さに度肝を抜かれることだろう。ただその後、大仏の鼻と同じ大きさの柱の穴をくぐることに夢中になっている一部を除き、奈良の大仏のさらに上をいく巨大さのインパクトに度肝を抜かれることだろう。残念ながら金剛力士像、そして運慶の印象が薄れてしまうパターンが多い。
中1の歴史で再び運慶は登場するが、定期テストが終わると早々と忘れ去られてしまうことが多い。
しかし運慶は復活する。月日は流れ彼ら夢現塾生が受験生となった時、歴史の鎌倉文化で覚えざるを得ない重要人物として脳内に確実に刻み込まれるのである。いや彼自身が刻み込んでいるのかもしれない。こうして3度も彼らの脳内に刻み込まれた運慶は、おそらく大人になっても記憶のどこかににとどまるのだろう。
運慶は夢現塾生に伝えたいのだ。
「暗記とは魂を込めて刻み込むものだ。1度ではなく2度、3度と。」
僕の勝手な解釈である。