8月のことではあるが、瀬戸内海に浮かぶ直島と豊島を訪れた。
この2つの島を訪れるのは、実に14年ぶり。
特に何か理由があったわけではない。ただ、無性に行きたいという感覚に急に取りつかれたため、天気だけを確認し、翌日の夜にはもう高松港行きの高速バスに乗り込んでいた。
久しぶりに訪れた島は、驚くほど何も変わっていなかった。
景色も、建物も、そこに流れる時間も、14年前の記憶の中にあるままだった。
唯一変わったことといえば、外国人観光客や、写真映えするスポットを求めて訪れる若者が増えたことだろうか。
けれど、島そのものの魅力は変わらず、のんびりした時間が流れるままだった。
自転車を漕ぎ、坂道を上り続ける。
息を切らしながら坂を上りきった先に広がるのは、瀬戸内の大海原だ。
視界いっぱいに広がる青い海。頬を撫でる心地よい風。
そのまま坂道を下れば、まるで海の中へ飛び込んでいくかのような感覚になる。
ただ自転車を漕いでいるだけなのに、それだけで心が満たされていく。
そんな豊島には、大きな穴の開いた空間そのものが作品となっている「豊島美術館」がある。
そこでは、決まった順路をたどるわけでも、作品の正解を探すわけでもない。
床に座ってもいい。スケッチをしてもいい。何も考えずに歩き回ってもいいし、ただ横になって過ごしてもいい。
訪れた人たちが、それぞれの方法で作品と向き合える空間なのだ。
私は、そんな人たちの姿を少し離れたところから眺めるのが、当時も今も変わらず好きなのだと感じた。
ただ無心になって、その空間に身を委ねている。同じ場所にいても、感じ方は人それぞれだ。
何を感じるか。どこに心を動かされるか。そこに正解はない。
そんな当たり前のことを、改めて感じさせてくれる場所だった。
一方、隣の直島は、建築家・安藤忠雄氏の作品が数多く点在する島だ。
久しぶりに訪れた地中美術館では、彼の作品の象徴ともいえるコンクリートを多く使用した建物に、14年という歳月を感じさせる風合いが刻まれていた。
少しずつ建物にも時間が刻まれている。
けれど、その変化さえも不思議と趣を感じさせるものだった。
変わらず広がる青空。無機質な灰色のコンクリート。そして、静寂の中にたたずむ美しい作品たち。
自然と建築、そして作品が互いを引き立て合う空間は、何年経っても変わらず、そこにあった。
さらに今回は、新しくオープンした安藤忠雄氏の手がけた美術館にも足を運ぶことができた。
やはり印象的だったのは、光の差し込み方だ。
コンクリートに囲まれた空間に、自然光が静かに入り込んでくる。
光が当たる場所と、影になる場所。
同じ空間でありながら、その対比によって、建物の表情は大きく変わる。
光が美しいのは、ただ明るいからではない。その周囲に影があるからこそ、光の存在が際立つのだ。
安藤忠雄氏の建築に触れていると、そんな「光と影」の関係について考えさせられる。
人生にも、光が差し込むような明るい日々があれば、思うようにいかず、苦しさを感じる影のような日々もある。
安藤氏は、人生の充実について、『光の下にいることそのものではなく、光を遠くに見据え、そこに向かって無我夢中で走る時間にこそある』と語る。
ずっと光の下にいられることだけが、幸せなのではない。
思うようにいかず、悩み、試行錯誤する時間にも、自分と向き合う意味があるのだと。
光が差し込む場所と、影になる場所。
その対比を眺めながら、人生もまた、明るいことばかりではないからこそ見えてくるものがあるのかもしれないと感じた。
そんなことを考えながら、自分自身とじっくり向き合うことができた旅だった。
さて、中間テストが終わったみんな、お疲れ様。
結果はどうだっただろうか?
良くも悪くも、終わったテストの結果を過去に戻って変えることはできない。
だからこそ、今回の結果を「次に何をすべきか」を知るための材料にしてほしい。
そして、期末テストに向けて一緒に気持ちを切り替えていこう。
光が差し込む日もあれば、影の中にいるように感じる日もある。
それでも、どちらか一方だけが自分のすべてではない。
うまくいった自分も、思うようにいかなかった自分も、どちらも今の大切な自分。
都合のいい部分だけを見ることではなく、自分自身をきちんと知り、そのうえで目指す場所を見失わずに進むこと。
次の期末テストでは、今回見つかった課題とどう向き合えたか、自分自身に胸を張れるような時間を過ごしてほしい。