母と二人になると、必ず今まで行った海外旅行の話になる。
ここが良かった、あそこで迷子になった、あの料理はおいしかった、など当時の出来事があれやこれやと思い出され、自然と笑顔の花が咲く。
『百聞は一見に如かず』
まさにこの言葉通り。実際にその場に行ってみないと感じられない感動や景色や空気感を二人で何度も味わってきた。
数々の建造物や自然物、美術品…そして歴史も。
スペインのセビリアの教会を訪れた際には、現地のガイドさんが「この棺の中にはコロンブスが眠っている。」と4人の大きな銅像に担がれた棺を指さして言った。
場所は変わり、ポルトガルの教会を訪れた際には、現地のガイドさんが「この棺の中にはバスコ・ダ・ガマの遺体が眠っている。」と白い大きな棺を指さして言った。
肖像画でしかイメージ出来なかった人物たちが、実際に私の目の前にいる。不思議な感覚だ。
日本を出なければ、出来ない経験が世界には溢れかえっている。
感動の一方でその分、治安の悪さや不便さも沢山感じてきた。イタリアではバッグに手を突っ込まれスリにあいかけたり、ドバイでは深夜にホテルから追い出されたり、中でもスペインのサービスエリアのトイレに便座が一つも付いていない(便座を盗まれるからだそう)ことには耐えられず悲鳴を上げた。
美しい景色の写真や動画だけでは、知ることができなかった現実である。行ってみて分かることも世界には溢れかえっているというわけだ。
こういう話を子どもたちにすると、「行きたくない(笑)」という声が上がるときもあるが、「こういうトラブルも振り返ったときに、楽しかった思い出になるんだ」ということを必死に伝えている自分がいる。
それと同時に、「いつか君たち自身で行ってきてほしい」ということも。
私が経験したことは、良いことも悪いこともいくらでも伝えてあげられる。経験した人にしかそのリアルさは伝えられない。
自分の足で行き、自分の目で見て、全身で感じてくることは、「人から聞いた経験談」ではなく、自分の「リアルな経験」となる。
人生は短い。しかし、世界は広い。
安心安全な日常も大切だが、勇気を持って日本各地や世界各国に飛び出すこともまた、人生を彩る貴重な経験になることだろう。
そんなときに今君たちが毎日向き合っている「勉強」というものが、未来のどこかで必ず繋がり、活きてくる場面にきっと遭遇するはずだ。
どんな小さな知識でも、経験でも、積み重ねていけば、それが新たな扉を開くきっかけになる。
旅行で得た一つ一つの経験が、後になって大きな意味を持つように、勉強もまた、後から気づく大切な力となるのだろう。
目の前に広がる未知の世界を知るために、まずは学び、準備することが今は必要なのかもしれない。
今日の勉強が、明日の冒険へと繋がっていく…