3月6日といえば、ルネサンス期の芸術家ミケランジェロ、シンガーソングライターのあいみょん、陸上選手のサニブラウン・アブデル・ハキーム、そして夢現塾教師である加納生彩の誕生日だ。
夢現塾に入社し、早いものでもう9回目の誕生日を迎えてしまった。
以前日報にも書いた気がするが、当時20代後半であった私に、ある眼科医はこう言った。「生彩ちゃんは何年生ですか?」と。この会話の後、実年齢を明かさないといけないこちらの身にもなってほしい。
つい先日、また新たな年齢問題が起きた。
父親の携帯電話の機種変更に付き添い、機種変更をしたい旨をスタッフの方に伝えたところ、そのスタッフさんは私の父に向かいこう言った。「15歳以下のお子様は保護者様の同意が必要となりますが、お子様はおいくつでいらっしゃいますでしょうか?」
隣で父が返答に戸惑っているのがすぐに分かった。全力な苦笑いで、「僕の機種変更です…」と言い返した父親のあの顔は二度と見たくない表情であった。
身長なのか?すっぴんだからか?態度なのか?話し方なのか?雰囲気なのか?
正直、年相応に見られないという点では嬉しいことなのかもしれないが、1/2程の年齢に間違えられるのは痛すぎる。心も痛い。いや、いろんな意味で自分自身がイタいのかもれない…
しかしながら、何歳に見えようが、年齢は年齢だ。
年を重ねるごとに「責任感」も同時に大きくなっていく気がする。「何歳なんだからこうじゃないとダメ」とか、「何歳なんだから許される」というのも違う気はするが、少なからず、“年齢=生きてきた年数=人生の先輩レベル”という世間の認識が存在していることは間違ってはいないだろう。
私は、私の実年齢とその年齢に値する責任感を背負えているのだろうか。そんなことを考えながら家でケーキをひたすらに頬張る私がそこにいた。
小さい頃は誕生日にケーキを食べるたび、少し大人になった気がした。
今では誕生日にケーキを食べるたび、年相応の大人になられければならないという気持ちが毎年芽生える。
「年を取ることが嫌だ」という友人も多い。
しかし、私はいつもこう思う。「年を取ることは、決して退化していくことではなく、さらに魅力を増すためのアップデートなのだ」と。
誕生日という自分が生まれたその日に、自分自身を見つめなおす。自分自身の歴史をたどり、そして未来を描いていく。年齢などはあくまで数字であり、実現することには関係のないものだ。
「こうなりたくない」を思うのではなく「こうなりたい」を思う。それが自分アップデートへの第一歩だと私は思う。個人的には誕生日を迎えることがとても好きだ。自分が生まれた日、自分が始まった日、そして元気に年を重ねられている幸せな事実を誕生日は教えてくれる。
今年は、長年担当してきた六名校を離れ、岡崎本校を担当することになった。私の誕生日付近は、常に何かがアップデートする時期だ。進級、入学、卒業、移動。
新しい年齢、新しい校舎。気持ちも新しく、アップデートし続けられる自分でありたい。