今、僕は目に眼帯をしながら日報を書いている。
だからと言って、ワンピースの『ロロノア・ゾロ』に憧れているわけでも、『独眼竜政宗』こと伊達政宗に憧れているわけでも、三国志の魏の『夏侯惇』に憧れているわけでもない。
はたまた手塚治虫の『三つ目がとおる』に出てくる、第三の目の能力をバンソウコウで封印している写楽保介に憧れているわけでもない。
では憧れではないのならば、なぜ眼帯をしているのか?
じつは片目が腫れているからだ。
しかし眼帯姿の僕を見て、本気で心配している塾生はほぼいない。
ほとんどの子が「大丈夫ですか?」と近寄ってくるが、100%笑いながら聞いてくる。
そして、
「今日の授業で、その眼帯についての話をするんですよね。楽しみにしています。」
と、なにかしらの話のネタだと思っている子たちが多い…。
授業前の子供たちの会話。
「きっと眼帯外して、『うぉーーーっ!』とか叫びながら、先生が作った技を教えそう。」
「闇の組織について調べていたら、その組織に捕まって改造されたとか言いそう。」
「眼帯外したら、油性ペンでまぶたに目を描いてそう。」
…言いたい放題である。
普通の大人は、ネタとして眼帯をするなんてことはしない。
それを子供たちは分かっていない。
(それとも僕のことを、“普通の大人”と思っていないのか…。)
もう一度声を大にして言いたい。なぜ眼帯をしているのか?
それは片目が腫れているからだ!
早く治して眼帯を取りたい。
そしてその時には、きっと子供たちにこう言うだろう。
「闇の組織について調べていたら、その組織に捕まって改造された。」と…。