岡崎生まれ岡崎育ち。
生粋の岡崎市民である私は、物心ついたころから
「家康」という名前に囲まれて育ってきた。
通っていた小学校は、家康公ゆかりの大樹寺の目の前に建っており、「家康」という名前すら知らなかった6才のころから容赦ない
「家康公のための英才教育」が始まった。
小1だろうとなんだろうと、毎週土曜は「自立の日」という
「家康公遺訓」暗唱の授業。
毎年新学年が始まると、その家康公遺訓の中で、今年目標にしたい一文を紙に書き出し、その紙は教室ではなく、学校のあちこちに張り出された。
入学したての小1の私が初めて選んだ言葉はこれだ。
『及ばざるは過ぎたるより勝れり』
-何事も程々が肝心で、良いと言われることでも、やり過ぎは害になる-
ただ当時はどの文をとってもまったく意味が分からず、隣の席の男の子の「サルが入ってるからこれにする!」という謎の一言を鵜呑みに選び、シンプルすぎる紙が気に食わなかった私は「サル」のイラストを周りにデコレーションしたものを提出。
数日後には「優秀作品」として校長室近くに張り出されていた時は、驚きたまげた(笑)
遠足は家康公ゆかりのお寺めぐり、運動会の組み立て体操は、全身で家康公のストーリーを演じ「松」や「矢作川」をカラダで表現。
これはほんの一部であり、もう上げたらキリがないほど、何から何まで
6年間毎日「家康公」と共に歩んで来たと言っても過言ではないだろう。
あれから20年ほど経つが、今も私は家康公遺訓をスラスラ言える。
が、この話をすると誰もが口を揃えて「言ってみてよ」と言うので、言ってはみるものの、返ってくる言葉はいつも同じ。
「キモチワルイ(笑)」
悲しい限りだ。
ただ昔よりは「家康公」を感じる瞬間も少なくなり、「徳川家康」が授業に登場する2学期ごろと、毎年4月の岡崎市恒例行事『家康行列』くらいだろうか…
今年の家康行列は家族揃ってテレビで見ていた。もちろん目当ては「松平健」扮する徳川家康、だったはずなのだが、まさかの行列先頭の団体の中映し出されたのは、六名校6年のN尾くんだった…(笑)
他の子がピースサインをテレビカメラに向けて歩いている中、彼だけは
「真顔でカメラ目線」スタイルを崩さず歩く姿に、食べていた餃子を吹き出しそうになった。
本人曰く「あれは5年の後期の学級代表が歩くよういわれてる」とのこと。
テレビ越しではあるが、塾内では見られない外での活躍が垣間見れて内心喜びを隠せない自分がいた。さらに「先生、僕6年の前期の学級代表になった」とのこと。えらい。
小学校や中学校の経験がいつ役に立つかはわからない。けど、経験は多い方がいい。
経験が多いほど、自分のやりたいことも見つかりやすいのかもしれない。「こんなの役に立つの?」と思っても、
まずはやってみればいい。
『及ばざるは過ぎたるより勝れり』
経験や学問に関しては、この遺訓に反していると思う。
これは何も知らなかった小1からスクスクと成長し、今現在までの私の経験上で感じたこと。
だから、家康公には申し訳ないが、少し手を加えさせていただきたいと思う。
『及ばざるは過ぎたるより勝れり、
しかし経験や学問に関しては、過ぎたるは及ばざるより勝れり』
-何事も程々が肝心で、良いと言われることでも、やり過ぎは害になるが、経験や学問は、やり過ぎは害にはならず、むしろやり過ぎたぐらいがいい-
これでよし。