夕方の幸田校、道路に立つとちょっとした違和感が…。
風景の間違いを探すと、それをすぐに見つけた。
いつもと違うのは『道路』であった。
白線が真新しくなっていた。
その白線は道路工事をしていた形跡もなく、ひっそりと突然くっきりとなっていた。
しかし僕の目を引いたのは、『白線』ではなく『補助線』の方であった。
よく見る『止まれ』という文字の周りに、チョークで線が引いてある。
几帳面に引かれた無数の直線は、道路に『止まれ』を違和感なく再現するために必要なもの。
しかしこの“補助線”はいつしか消えて、『止まれ』という“本線”だけが残っていくのである。
ふとこの“補助線”が、僕ら教師に似ている様に感じた。
子どもという“本線”をくっきりと目立たせるためにある“補助線”。
補助線が本線のように目立ってはいけない。
本線はいつまでも残る。
補助線はいつしか消えていく。
僕は教師という存在もそれでいいと思うし、それがいいと考えている。
子ども達を輝かせる為に僕らがいて、子ども達が自分で輝きだしたのなら、もう僕らは見守るだけで良い。
今の塾生達にはくっきりと見えている僕らも、卒業した後にうっすらと記憶から消えていくだろう。
そう、まるで補助線のように。
でも夢現塾を卒業した後、もしも今後の人生に『補助線』が必要であれば、また顔を出すといい。
僕らはいつまでも力になりたいと思っている。