先週一週間はお休みをもらったので、12/2(月)~4(水)で福岡・大分に夫婦で旅行をしてきた。
我々夫婦は日本中のどこに旅行に行っても、城と寺社仏閣は欠かせない。
今回も城は「小倉城」(こくらじょう)・「中津城」(なかつじょう)・「杵築城」(きつきじょう)を予定していたが、時間の都合で残念ながら「小倉城」は断念。
訪れた「中津城」・「杵築城」ともに現存天守(※江戸時代から残る天守閣)ではないが、城内の展示物は非常に興味深いものが多かった。
また「杵築城」の周りは武家屋敷跡が当時のまま残っており、鹿児島の知覧や山口の萩のような街並みは、時間が許せば1日かけてじっくり周りたかった。
一方寺社仏閣では、本堂が国宝の
「富貴寺」(ふきじ)ではネコと戯れ(笑)、
「真木大堂」(まきおおどう)の巨大な仏像たちにアドレナリンがでまくり、
「宇佐神宮」(うさじんぐう)ではきっちり”大吉”のご神託を受け(笑)
(※意味が分からない人は『宇佐八幡神託事件』で検索)、観光寺院ではない
「金剛宝戒寺」(こんごうほうかいじ)というお寺では、電話してわざわざ本堂を開けてもらい、最後に国宝の
「臼杵石仏」(うすきせきぶつ)を見仏(けんぶつ)してきた。
(※「見仏」については10/23の日報参照。
https://mugen-jyuku.com/b-soliloquy/14723.html)
石仏の一部は、現在保存修理のため、残念ながらこのようになっていた。
そんな中、レンタカーでこの石仏に向かう途中、ナビの地図の中に
「築山古墳」(つきやまこふん)という文字をみつけた。
実を言うと・・・我々夫婦は、
『古墳にコーフン協会』(※古墳シンガーの”まりこふん”率いる古墳にコーフン(興奮)する集団)のHPをチェックするほど、「古墳」も大好物なのだ。
「大分市歴史資料館」の敷地内にある古墳群も見事だったが(なんと3世紀後半の前方後円墳もあった)、石仏に向かう通り道だからということで、この
「築山古墳」に立ち寄ることにした。
その
「築山古墳」の上で、このような石碑を見つけた。
皆さんは読めただろうか?
なんとか
「昭和十五年」と読むことができるとは思うが、問題は
「和」の文字だ。
そう。左右が逆になっているのがわかる。
「これ彫ったヤツ、間違いに気づかなかったのかな?建てるとき、周りもツッコめよな~(笑)」
こんなことを言いながら写真を撮ってその場を後にしたのだが・・・なんと僕が知らないだけで、これは間違いではなかった。
今週の授業内で、この話の途中でこんな質問をしてみた。
「ところで、”和”の部首って知ってる?」
「のぎへ~ん」
「ぶー、違いまーす。」
小中学生ともに、ほとんどの校舎ではこのやりとりで終わるのだが、
「”くち”か、”くちへん”でしょ?」
と、六名校中1のHさんが答えた。
「えっ!?正解!!知ってたの?」
「うん、漢検の勉強で部首を勉強したから・・・」
(一同)「お~!すげ~!!」
(※緑丘校1年のIさんも知っていました。)
確かに”のぎへん”は、稲穂が垂れる様子を表すのだから植物に関係するはず。
”和”という漢字に植物の意味がないのだから、”のぎへん”でないことはよく考えればわかる。
ということは、「口」が部首で「禾」がつくりならば、「和」が左右逆の「咊」でも何の不思議もない。
ちなみに
「咊」は
「異体字」といい、髙須先生の
「髙」や、牛丼の𠮷野家の
「𠮷」と同じだそうだ。
古墳の石碑を建てた方、バカにして本当にすみません。
バカは僕の方でした(汗)
本やネットで得られる知識はたくさんある。
でも残念ながらすべてを記憶することはできずに、多くは頭の中から消えていってしまう。
でも、ホンモノを見て得た知識は決して忘れない。
僕は死ぬまでこの
「咊」という漢字を忘れないだろう。
これが本当の勉強だなぁ~と、改めて気づかされた出来事だった。
追伸・・・
これも宇佐神宮のご神託(大吉)のおかげだろうか?
自宅に帰るとポストの中に、こんなものが・・・。
某スーパーマーケットで使える1000円がチャージされたカードが当選♪
でも僕の”大吉”は、こんなものなのかな~。
あ~あ、年末ジャンボの当選を期待してたのにな~(笑)