先日、久しぶりにアメトーークを観た。
その日は『ネタ書いてるvs書いてない芸人』という企画で、コンビ芸人5組が、タイトル通り、ネタを書いている側と書いていない側に分かれてトークを繰り広げる1時間だった。
その1時間の中で、Instagramのようにハッシュタグでキーワードを並べるとしたら、1番はじめに「#基本的に」と書くだろう。
というのも……。
例えば、“コットン”という今年のキングオブコントにも出場していたコンビ。
コットンは、西村さんという人が100%ネタを書いているのだが、相方のキョンさんは、取材で「どちらがネタを書くか」と聞かれたときに、「“基本的には”西村が書いています」と答えるらしい。
相方の西村さんは、目をかっぴらいて「“基本的には”???」とイラつきを露わにしていた。(笑)
また、昨年末のM-1グランプリでの、「ブラジル人留学生・エンゾ」や「見せ算」でも話題になった“さや香”というコンビ。
ネタを書いているのは新山さんという人で、相方は石井さん。
番組内で「ネタを書いてくれた相方に対して、感謝の言葉はあるか」というテーマになったとき、石井さんは「“基本的に”ないっすね…」と答え、新山さんに「いやいや、ゼロやん」とツッコまれていた。
コンビでのリアルな話を聞くことができて面白かった一方で、「基本的に」という言葉が頭に残り、ふと普段の夢現塾や中3の三者面談での会話が頭に浮かんだ。
先に挙げた例はどちらも、本当はゼロなのに、ゼロであることを隠したり濁したりするために「基本的に」という言葉を使っている。それが笑いを取るためのトークの一環なら問題ないのだが、勉強の話ならばそれは問題。
「毎日勉強できているか?」といった質問をされたときに、「“基本的には”…」などと答えて、はぐらかしてしまうことはないだろうか?
他にも、「“だいたい”分かった」「“たぶん”できる」「“よっぽど”大丈夫」など、よく使うのだが正確性に欠ける言葉に逃げてしまうことはないだろうか?
なんとなく勉強していたり、なんとなく評価をしていたりすると、そのうち結果にも“なんとなく”が反映されてくると思う。
「勉強やったはずなのに、あまり点数が取れなかった」
「この問題、練習ではできていたのにテストではできなかった」
それは本当に、十分な勉強時間が取れていたのか。
一部数字が変わっても解けるように、やり方まで理解していたのか。
教科書を読んで、テキストを解いて、それで終わりではなく、
テストに出て、自信をもって解くことができ、マルをもらって、「もういつ聞かれても完璧に答えられる!」と思えるまでが勉強。
(もちろんテストには出なくても、そう思えるレベルの理解が必要!)
さあ、次にやってくるのは、小学生MJテスト、中学生は期末テスト。特に、中3生にとっては受験前の大事な大事なテスト。
曖昧な判断に逃げず、しっかり自分の現状と向き合って、良い結果を出してほしい。