2年ほど前、日報で父のことを書いたので、本日は母のことを書こうと思う。
父 (高)
僕は子どもの頃、勉強も運動も秀でた部分のない目立たない子であった。
これは謙遜で言っているのではない。最近実家で小学生と中学生の頃の通知表を見たので、「イマイチだった」と自信を持って言える(苦笑)。
今も昔も変わらないが、勉強や運動が得意でない子は、褒められる機会は非常に少ない。
しかし母はそんな僕の小さな成功を見つけては、たくさん褒めてくれた。
もちろん、数えきれない程たくさん叱られもした…(苦笑)。
けれど記憶に残っているのは、褒められたことの方である。
「いいことしたね。」
「良かったね。」
「頑張ったね。」
褒められることが嬉しかった。自信にもなった。
そして褒められることよりも、母親が喜んでいる笑顔を見ることが嬉しかった。
そんなこともあってか高校生になってからは、どうすれば他人が喜んでくれるかを基準に考えるようになった。
大人になった今、それをさらに考えるようになった。
塾生は喜んでくれるか、保護者は喜んでくれるか、仲間は喜んでくれるか、家族は喜んでくれるか…。
僕の人生に何かしらのテーマをあえてつけるのであれば、僕の人生は“周りの笑顔を見る為にある”と言えるかもしれない。
僕は人柄というものは、生まれついての“先天性のもの”ではなく、生きながら身についてくる“後天性のもの”であると考えている。
環境や教育、そして誰かの影響を取り入れながら、人格が形成されていくのだと思う。
僕の人格形成における母の存在は大きいと感じている(誠に手前味噌の話であり恐縮ではあるが…)。
大人になった僕は、塾生と話す時にたくさん褒めるようにしている。
子どもの頃の母のように、今度は僕が子ども達に自信をつけさせてやりたい。
僕にとって、母は僕の『憧れ』だ。
仕事に関する心構えを、父親から影響を受けた。
人に接する心構えを、母親から影響を受けた。
もしも僕によって、誰かが何かしらの影響を受けてくれたのならば幸いである。
そう、昔の僕が褒められる為に頑張っていた“素敵な大人”のように…。