『キャラクター』
辞書には
①小説・劇・映画などの登場人物。
②性格。人格。その人の持ち味。
と記載されている。
僕はこの②の意味合いでの『キャラクター(通称:キャラ)』が好きではない。
もちろん、人それぞれに性格はある。
しかしそれを『キャラ』という言葉を使い、性格を固定してしまうことはいかがなものかと感じている。
「僕は表に出るキャラじゃないので…。」
「それは私のキャラじゃないです…。」
暗いキャラクターの人でも、明るく振舞わなければならない時もある。
無口なキャラクターの人でも、意見を言わねばならない時もある。
やる気のなさそうなキャラクターの人でも、やる気を見せなくてはいけない時がある。
「この行動は自分のキャラクターではない。」という言葉は、自分の新たな可能性を消してしまっているのではないかと、僕は思っている。
性格なんて、人格なんて、その人の持ち味なんて、状況や場面によって変わるものである。
だって友人といる時、仲間といる時、家族といる時、自然とキャラクターは変わっているのではなかろうか?
この状況では明るく、この状況では積極的に、この状況では真面目にと…。
僕は子ども達に、たくさんの可能性を持たせてやりたいと思っている。
そう、あえて言うなら『状況に応じてキャラクターを変え、人生を楽しめるキャラクター』になってもらいたいと願っている。
大事なのは『いつもの自分ならやらないけど、やってみようかな。』という一歩踏み出す勇気。
その“勇気の瞬発力”が、今後の人生を大きく変える力になるのではなかろうか。
追伸:僕は目立つことが嫌いである。
しかし卒業パーティーや社員旅行や年賀状等では、盛り上げるために勇気を持って一歩踏み出している。
そう、あまりにも踏み出しすぎて『目立つことが好き』と勘違いされている方もいるのではないだろうか…。
それは違う。僕の行動は、周りを喜ばせるため、周りを笑わせるため…。
『目立ちたくないキャラクターがなんだ!人見知りがなんだ!忍者だろうがブルゾンだろうがやってやる!』
この日報を読んでいる、塾生諸君。
こういう自分の“枠”から出た勇気ある行動を、世の中では『粋』って言うんだぜ。