半月ほど前に、下あごに埋まっていた親知らずの抜歯に行ってきた。
既に痛みが出ることもあったし、今後の虫歯のリスクなども考えたときに、歯科医院で「いつかは抜かないといけないし、早ければ早いほどいいよ」と言われたためである。
ただ、普段通っている歯科医院では抜歯ができなかったため、市民病院でしてもらうことになった。
当日は不安もありつつ40分ほどで無事に終わった…が、見事にあごが腫れた。親知らずを抜くとそうなるというのは事前に言われて覚悟していたが、声を出したり笑ったりするだけで痛くてたまらなかった。
そのため、ちょうど期末テスト対策期間で自習室にいた生徒に向けての「よし、じゃあ休憩しようか!」の一言を発するのにかなりの勇気が要ったし、意を決して声を出すも痛みに耐えられず、あごを押さえて「痛い~~~」と情けない姿を彼らに見せてしまった。そして、笑われた。
また、腫れるかもしれないということは事前に生徒に話し、「アンパンマンならぬ“パンパンマン”になる」と言っていたのだが、“パンパンマン”という言葉の強烈さで必要以上に期待を高めてしまったせいか、実際に私の顔を見たときには「腫れてるけどそこまでじゃないな」と厳しい言葉をいただいてしまった。(笑)
それから徐々に腫れも引き、通常授業でその抜歯の話をすることにした。
すると、「先生、その歯投げた?」と聞かれた。
頭の中にクエスチョンマークがたくさん浮かんだ。
なにしろ私には“抜けた歯を投げる”という習慣はなかったため、本当に気になっているのかボケているのかわからなかったのだ。
しかし、ちゃんと話を聞いてみると、どうやら乳歯が抜けたときは、永久歯がこれから丈夫に真っすぐ生えてくるようにと願いを込めて、下の乳歯は屋根の上に、上の乳歯は下に向かって投げるのだという。
後から調べてみても、確かに日本の風習としてあった。
自分がそれを知らなかったことへの驚きと、どのクラスで聞いてもその風習を知っている生徒の多さへの驚きと、二重に衝撃を受けた。
「え~親知らず投げれば良かったのに!」
という意見もあったが、まず親知らずの後には歯が生えてこないため、まっすぐ丈夫な歯を願う必要はない。
むしろ、その歯を投げたことで万が一、億が一にもそこに歯が生えてきたら…。この1回きりの手術だから我慢できたけれど、この痛みがもう一度来るとは考えたくもない。投げなくて正解だった。
この風習に限らず、まだまだ私も知らないことがたくさんある。これからも、誰かと話す中で初めて知ることがあるだろう。
知らなくても困らないこともあるのかもしれないが、やはり知っていることが多い方が見える世界は広がっていく。理解できることも増え、寛容で柔軟な考えができるようになる。
「勉強」「学ぶ」「知識」といってもたくさんあるのだ。
だから、夢現塾生には、教科書やテキストと向き合う時間と同じくらい、誰かと話す何気ない時間も、大切にしてほしいなと思う。