僕が日報を書く上で気にしていることは『文の長さ』である。
Wordで打つ際、A4サイズの紙1枚以内に入るように打つ(空白の行も含む)。
“無駄な言葉はなるべく削ぎ落す”それが僕の目指しているところである。
他人のブログを見る際も文が長いと途中で読むのをやめてしまう。
書き手が“面白い”と感じることでも、長々書かれると読むことに疲れてしまう…。※あくまで個人の感想であるが。
逆に短い文章で、『内容』『ユーモア』『言い回し』が整っているブログを見ると、その人の“頭の良さ”に尊敬し、嫉妬してしまう(苦笑)。
さて本題に入ろう。
他の先生との会話の中で、『僕の日報の書き方(または文章の書き方)が違う』というのを知った。
僕は文章を増やしながら作成していくのではなく、減らしながら作成していく。
具体的には、まず数日かけてA4サイズの紙2~3枚程度の大枠を書く。そこから2日程度かけて50~70%削っていく。
「そんなに書いてるわけない。」
と疑いを持った、そこのあなた!
きっと疑う人もいるかと思い、前回の日報で削った文章たちを“あえて消さずに残しておいた”。
もちろん前回の日報を読んでからでないと意味が分からない文章の羅列となるので、まずは前回の日報を読んでいただきたい。
百聞不如一見(高)
ではその一部を今から紹介しよう。
・耳は『聴覚神経細胞』、目は『視覚神経細胞』。神経細胞が情報を脳へと伝える。
聴覚神経細胞の数は約3万個。視覚神経細胞の数は約400万個。
耳よりも目の方が約130倍の神経細胞を使っている。
・色や模様などの視覚による(見る)ものは、一見が正確であろう。
一見ではないが、聴覚(聞く)、味覚(味わう)、嗅覚(嗅ぐ)、触覚(皮膚で感じる)も実物を確かめた方が正確に理解できるであろう。
・例えば『富士山』。
富士山を1回見たとする(その場所まで車で行って見るでもよい)。その形状や、何となくの外観は理解できる。
代わりに『富士山の話』を100人から聞いてみたとする。四季折々の富士山や、時間による色合いの違う富士山。
「初めて富士山を見て気持ちが高揚した」
「夕焼けの中、あの時の富士山は一生忘れない」
など、感情のこもった話も併せて聞くと、富士山が神秘的に加工されて興味がわくのではないか?
毎日富士山を見ている1人からでも、「あなたが見ている(または知っている)富士山の話を100個してください」と聞けば(だいぶ迷惑な質問者ではあるが(笑))、いろいろな富士山がイメージできるのではないか?
・『雨の日の富士山』と言えば、伝わりやすいだろうか?毎回富士山は雨が降っているわけではない。
富士市が公表した去年の「富士山観測の記録」によると、「富士山全体が見えた日」は年間の42%にあたる154日で、前の年より13日多い。
・現に『僕の日報』や『塾のInstagram』で“百聞”している皆さんと、僕を“一見”した別の誰かがいたとする。
皆さんよりも一見の人の方が、僕をわかってくれると思われるだろうか。
・生徒たちや皆さんは“一見”ではなく“百見”の方なので、日報を見てもInstagram見ても特に違和感はないであろう。
またここまで日報を読んでいるあなたなら、僕の面倒くささまで理解してくれるであろう(苦笑)。
・桃太郎の話などの昔話も動画で見るのではなく、祖父母や親から何回も聞かされる。そうして会話しながら内容を理解していく。それが素敵ではないか?
上記のものが、採用しなかった文章達である。
まだまだあるのだが、これ以上書くとA4サイズの紙1枚を大幅に超えてしまうのでここまでとしたい。
『鉛筆のように文章を削り、尖らせていく』
削った文章を見ていただき、僕が日報を書く上での“言葉削り”のイメージが少しは伝わったであろうか。
まさに「百聞は一見に如かず」である。