当時の僕は名鉄西尾駅から名鉄名古屋駅まで通学していた。
自宅から西尾駅までは原付で通う。
車の免許は持っていなかった。いや、持たせてもらえなかった。
名古屋駅を出て、正面に見えるビックカメラのある場所、昔そこはAPITA(アピタ)だった。
しばらく歩くと予備校が連なる場所にたどり着く。
河合塾、代々木ゼミナール、早稲田予備校…。
駅から予備校までの道のりは
「親不孝通り」と呼ばれていた(苦笑)。
その中の一つ「代々木ゼミナール」に通っていた僕は、浪人生として
勉強一筋の素晴らしい生活?を送っていた。
アルバイト禁止、恋愛はもちろん禁止、免許は原付だけ。
通学電車の中も立派な勉強部屋だった。
毎日が孤独との戦いだった。
昨日、12月10日(日)は待ちに待った
「浜田省吾」のライブの日だった。
ラブソングを歌わせたら右に出るものはいないと言われるほどの大物アーティスト。
先日の
目黒先生の日報を確認してほしい。
というわけで、昨年に続き目黒先生と参戦した。
前日に娘の親友のご両親も同じ場所に足を運んでいらしたことを後で知り驚いたが、今回も50代~60代の方が圧倒的に多かった。下は10歳未満、上は80代と幅広い。
そんな観客に向けて、御年70歳の浜省が圧倒的な熱量で歌い躍動する。
生きざまそのものだ。
語りたい想いを詞に乗せ、伝えたいメロディをリズムに乗せ、ライブの醍醐味を十分に味わわせてくれた。
僕がどうしても聴きたかった曲、でもこれまでのライブ参戦で一度も聴けなかった曲、それが
「19のままさ」という曲だった。
チケットを手に入れた時から、目黒先生にずっと伝えていた、「どうしても聴きたい!」と。
15曲目、その曲のイントロが流れた瞬間、隣の目黒先生と一緒にガッツポーズして喜んだ。
歌が始まった。
予備校の湿っぽい廊下で
あの娘を見つけた
涙が頬をつたう。
いい年をしたおっさんが!と笑われるかもしれないが涙が止まらないのだ。
それも、かなり我々二人に近い位置で浜省が歌ってくれている。
大感激!
必死に己の弱さと戦った日々は何事にも代えがたい大きな財産として心の中に残るもの。
これは間違いのない事実だと思う。
とめどなく涙が溢れてきたのは昔のことをはっきりと思い出したからだった。
当時の辛く苦い思い出も、今や自身の血となり肉となり、僕という人間を形成してくれている。
いつまでも忘れない
今でも目をこうして
閉じれば19のままさ
大好きな名曲揃いの過去最高のライブだった。感動しすぎて、終わってからも興奮がしばらく収まらなかった。
浜省、本当にありがとう。
彼の名曲の一つ
「日はまた昇る」にはこんなフレーズがある。
どの道を歩いていこうと
君は君のその人生を受け入れて楽しむ他ない
最後には笑えるように
関わった生徒たちみんなが最後に笑っていられますように、最高の涙が頬から流れますように。
すべての生徒たちの入試が
「いつまでも忘れない」ものとなりますように。
僕もまだまだ道半ば。
人生のゴールに向かって、最後には笑って幕を閉じられるよう歩みを進めていきたい。