2020年の終わりに何かしたい。「せめて今年最後の思い出に…」と考えていた私の目に、ある広告の言葉が飛び込んできた。
『
信じぬけ。』
何故か頭から離れなかった。「信じろ」ではなく、「信じぬけ」。決して強制ではなく、「自分の意思を通せ」という意味合いのこのたった4文字が私の心を動かした。
大晦日の朝9時。私は映画館に来ていた。2020年最後の日にも関わらず、人はほとんどいない。ジグザグに空いた席に座り、真っ暗になった画面に映し出されるタイトル。
『
えんとつ町のプペル』
この映画、いや、絵本を知っているだろうか?
今は西野先生と呼ばれている、西野亮廣さんの作品。私が中学生、高校生の頃は「キングコング」というコンビのお笑い芸人としての印象が強く、テレビで見ない日はなかったほどの人気だった。
以前、京都駅でテレビ番組の撮影をしている西野さんに遭遇したことがあるが、気さくに笑顔で手を振ってくれるような、とても優しく男前な方であった。
しかし、テレビで見かけなくなるにつれ、今度は彼のことは度々ニュースで目にするようになった。
「西野 詐欺」「西野 ニューヨークで個展」「西野 ディズニーを超える発言」…
お笑い芸人として第一線で活躍しているイメージがどうしても抜けなかった私は、こういうタイトルを見るたびに、正直「心配」と「大丈夫?」の気持ちがよぎった。
そんな彼の作品である『えんとつ町のプペル』の映画を見ていた私は、2020年最後の朝、映画館の1番後ろでひとり声を殺して泣いていた。
家に帰ってすぐ様その感動を忘れないよう、YouTubeで『えんとつ町のプペル』関連の動画を見漁った。
そんな中、ある1つの動画に私は釘付けとなった。公開初日の舞台に登壇し挨拶をしている彼の映像だ。真剣な眼差しで夢を語る彼。突き刺さる彼の言葉。何度も何度も見ては巻き戻し、見ては巻き戻しを繰り返した。
「幼稚園児の頃、プロレスの巡業で町の駐車場にリングが組まれました。お金がないから諦めて家に帰ったのですが、いてもたってもいられなくて再び駐車場に戻って音だけ聞いたんです。それが生まれて初めて聞いたエンタテインメントの音でした。当時活躍されていた芸人さんを見て、大人なのにバカをやっていいんだと教わったんです。僕は勉強が全く出来なかったのですが『大人になっても駄目なことをしていいんだ。』と知って本当に救われたんです。『ノストラダムスの大予言』や『2000年問題』が終わると、今度はインターネットが現れました。非常に便利になりましたが、世の中は正解だらけに。世間は冷たくなって、息苦しいなと感じていました。挑戦する人に『無理だ』と言うのは簡単です。
挑戦する人を笑って、行動する人を叩くのは簡単です。でもそれをやって何が生まれるのか。僕はこんな世界全然ドキドキしないし、僕が夢見た未来はこんなんじゃなかった。こんな息苦しい世界を次の世代に渡せない。だから
夢を語れば叩かれるこの世界を終わらせに来ました。コロナウイルスがやって来て、奇しくも世界中の人たちが挑戦者になりました。黒い煙に覆われて(本作は、厚い煙に覆われた”えんとつ町”を舞台となっている)、夢や希望が見れなくなりました。この作品のスタート時は個人的な物語でしたが、世界中の人が心当たりのある物語となりました。2020年は皆さん本当に大変だったと思います。ただ、
白旗を挙げるのはまだ早すぎる。もっと可能性を探って、知らないことには蓋をせず耳を傾けて。まだまだやれると思いました。」
お笑い芸人として全盛期だった時にも、一人浮かれることなく、テレビ局や劇場の楽屋でコツコツと絵を描き続けていた西野さん。周りの人に「なぜあいつはずっと絵ばかり描いているのか」と笑われようと、彼は絵を描き続け、絵本を出し続けたそうだ。
その内の代表作、『えんとつ町のプペル』は累計発行部数55万部(2020年11月現在)という記録を打ち立てており、様々な他言語にも訳され、日本の子供たちだけでなく、世界中の子供たちに笑顔を与えている。
たった一人の見ていた夢が、仲間を引き寄せ大きな大きな夢となり、たくさんの人の笑顔を生み出し、たくさんの人の夢を生み出す。
「
夢を語れば叩かれるこの世界を終わらせに来ました。」
舞台上でこう語る彼の顔はまさしくヒーローのようだった。
映画のエンドロールで流れる歌にはこんな歌詞がある。
-輝く星が煙に飲まれて 明日が見えなくても
ゆこう 嵐の海を超えて光の世界へ
もう聞こえているんだろう?
勇気の産声を-
舞台挨拶の最後に、西野さんは集まってくれた観客に対してこの言葉を送った。
映画の主人公、ルビッチの言葉だ。
挑戦したいことがある君へ、叶えたい夢がある君へ、ギリギリで踏ん張っている君へ。この言葉がエールとして届くことを祈って、私の今年初の日報を締めたいと思う。
『
誰か見たのかよ、誰も見ていないだろ。だったらまだ分かんないじゃないか。』