前々からの希望ではあった「ニューヨークのタイムズスクエアの前で年越し」は今年も縁がなく、昨年同様、今年の年越しも大人しく家で迎えることとなった。
1年の疲れを銭湯で洗い流し、家に帰ってあたたかーい年越しそばを食べ、キラッキラの衣装をまとったジャニーズの皆さんを画面越しに、彼らの笑顔と共に年を越したのだった。
毎月毎月、月が替わることには感動も何もないのだが、12月〜1月の月替わりは格が違う。
国や人が違えば、ただ年が変わるだけ、月が替わるだけの話なのだろう。
が、やはり「新年」を迎えると、なぜかすべてがリセットされたような、1から気持ちを再スタートさせよう!とピシッとした気持ちに包まれるのだ。
「今年も良い年にしたい」と、年越しの瞬間に思ってはいるのだが、「良い年」が具体的に思いつかないのは毎年恒例の反省点だ。
そんな曖昧な気持ちを胸に初詣に行き、案の定曖昧な願掛けをして密かに落ち込む私の目にはあるものが飛び込んできた。
「カランッ、カラッ、カララッ」
目の前には、ゆらゆらと風に吹かれ、心地よい音を鳴らす絵馬。
ふと何となく読んでしまった自分がいた。
「第一志望校に合格しますように」と書いてあるのが見えたのだ。
「お、頑張れよ」と私は心の中で仏のような優しい声で語りかけた。
が、私はその瞬間、新年初固まりを経験した。
願い事の下には、間違いなくよく知る生徒の名前が書いてあったのだ。
新年初固まりと同時に、新年初「ギョッ」とする経験がまさかこのタイミングだったとは…
そんなことは何も知らず「書き終わったよー」
と、今度は妹がブンブンと絵馬を揺らしながら私の元へ駆け寄ってきた。
私の妹も今年は国家試験を控える受験生。年越しの瞬間ですら黙々と勉強に励んでいるその隣で、ジャニーズに浮かれていたお姉ちゃんを許してほしい。
「どこにしようかなー」
と絵馬を掛ける場所に悩む妹に、私は迷わず、
「ここにしなさい。」
と、指を差した。
今、とある神社の絵馬所には、生徒の絵馬と、妹の絵馬が並んで揺れていることだろう(笑)
「良い年」が何なのかはわからない。
願いが叶えば「良い年」なのかもしれない。
何もなくても笑って過ごせるだけで「良い年」なのかもしれない。
でも私はこう考えることにした。
その年が終わった時に「良い年だった」と思える年が、本当の「良い年」なのだろうと。
「良い年」は自分で創り出すのだと。
だからこそ、1日1日に命を懸けて、私は今日も夢現塾のドアを開ける。