何ごともなく健康診断を終えたその日の夜。
人生で初めて『ぎっくり腰』との遭遇を果たした。
「歩く」「座る」「立つ」などの人間の基本動作を、電池が切れかけた何かの機械のように、非常にゆっくりと行うという今まで自分が見てきたまわりの腰痛持ちの人の挙動を、心の中のどこかで「大げさだな」と思っていた自分に降りかかった現実は、決して「大げさではない」ということだった。
安静時は何とかなるのだが、何かをしようと動こうとしたその瞬間に走る衝撃的で壮絶な痛みは、経験者にしか分からない何とも形容しがたいものである。「どんな痛みですか」と病院で聞かれたのだが、この「激痛」をうまく表現し伝えることができなかった。(痛みで考える余裕もなかったが…)
西洋ではぎっくり腰のことを『魔女の一撃』というらしいが、比喩表現(たとえ)の『魔女』自体あまりなじみがないので、言いたいことは何となく分かるものの、痛みを相手に伝える適切な表現ではないだろう。
『クールポコの杵(きね)の一撃』
これならぎっくり腰を「やっちまった感」が出ていいな、と本当にどうでもいいたとえを思いついたのは、あれから1週間がたって痛みもだいぶ落ち着き、多少の余裕が出たからだと解釈したい。(クールポコがなじみのない生徒にはほぼ伝わらないと思うが・・・)
今回のぎっくり腰では普段気づかされないことに気付くことが多かった。特に感じたのは、人間の多くの1つ1つの動きは「腰」に直結しているということだった。手足のちょっとした動きですら腰と連動している。一か所だけでなく体全体のケアが大切だということが身に染みる思いだ。
この時期は受験生にとって不安を抱えやすい時期。生徒からの相談もその相談された一か所だけの解決だけではなく、相談内容から連動する全体を意識した視点を持って考えることも大切だと再認識するいい機会にもなった。なじみのない魔女にではあるが、ある意味感謝したい。