健康診断。
先週からの各教師の日報にあったように、健康診断はそれぞれの教師が何らかの思いを抱えて迎える一大イベントとなっている。
僕も当日を迎える前から余計な不安を抱えていた。決して朝食を食べられないという不満があったわけではない。
ただ、実は今回1つのちょっとした楽しみを抱えていた。
ちょうど1年前の健康診断の日、採血のために部屋に入った時、若い男の看護師が出迎えてくれた。表面上は笑顔を見せていたが、彼の言動と所作から、僕と同じように何かしらの不安を抱えていること感じ取ってしまった。「まさか僕が彼にとっての『はじめてのおつかい』ならぬ『はじめての採血』に当たったのか。」
・・・と最初は不安に思ったものの、成長を楽しみとする塾教師という職業柄、彼の経験値が増えレベルアップしてくれればと、『大船に乗った気持ちでかかってこい』という100%伝わらないアイコンタクトを彼に送り、でーんと構えることにした。
袖をまくりゴムチューブを縛られて台の上に腕を乗せ、消毒をする。ここまではスムーズだ。しかし・・・。彼は僕の血管を必死に探していた。・・・見つからないようだ。血管を浮き出たせようと指で叩きはじめた。…トントントン…。…トントントン…。・・・浮き出ないようだ。そんなに僕の血管は恥ずかしがり屋なのか。…トントントン…。意を決したようでついに彼は注射器を持った。長い沈黙は僕の心に『不安』を積み重ねていった。
「チクっとしますよ」
・・・痛いのか!・・・いやぜんぜん痛くない。心の『不安』は一気に崩壊し、『安心』へと変化した。
が、心地よい『安心』タイムを楽しんでいた時間がやけに長く感じはじめ、なかなか腕から抜けない注射針が気になったので(僕は基本的に注射の様子は見ない主義です)、おそるおそる横目でちらっと見ると、注射器にたまっているはずの僕の血は、一滴もおさまっていない状況だった。
「あの・・・。腕を変えてもう1度やってもよろしいでしょうか」
か細い声で彼はそう言った。難敵を倒すことができず再チャレンジを志願する彼に、成長を楽しみとする僕はこう答えた。「もちろんいいですよ。」
あれから1年、僕の楽しみは、彼に再び採血をしてもらうことだった。この1年でたくさんの経験を積んだに違いない。彼の成長を実感したい。そう思い健康診断に臨んだのである。
「渡辺さんどうぞ。」
ベテランの女性の看護師だった。恥ずかしやり屋の僕の血管を鋭い眼光で見つけ出し、採血は一瞬で終わった。数々の経験を積んだからこそ、僕の血管など難敵でも何でもないのだろう。
小さな夢は叶わなかったが、会えなかった彼の活躍を祈りつつ、経験は人を成長させることを再確認した健康診断だった。