【昨日の日報からの続き】
14:19 六名校が停電した。
照明がつかない。
クーラーもつかない。
電話も通じない。
焼肉弁当も温められない。
カップ味噌汁はお湯を沸かせず調理できない。
トイレは真っ暗な個室となる。
携帯&パソコンのバッテリーは減る一方。
外では信号が止まり、警察官が交通整理を行う。
それを見に行くも、ズボンは一瞬にしてずぶ濡れ。
暴風で傘が飛び、傘が破損。
暗闇の中、暇を持て余す…。
停電と台風は、僕の心と体にダメージを与えた。
16:30 目黒先生から、僕の携帯に電話がかかってきた。
「小学生の授業は無理ですね。中学生の授業はどうしましょうか?」
と、目黒先生が尋ねてきた。
「天候的に行けそうな気もしなくはないですが、六名校はまだ停電が…。」
「それじゃ暴風警報が解除されても、授業はできないですね。」
暴風警報及び停電の復旧時刻が未定の為、その日の休校が決定した。
僕は暗い部屋から、外を見ていた…。
校舎に叩きつける雨風の音が、徐々に弱まっていくのを感じていた。
警察官の笛の音は、遠くで継続的に鳴り続けていた…。
17:48 「六名校の電気が復旧しました!」
六名校の蛍光灯に3時間30分ぶりに、電気が流れた。
明るくなり最初に目にしたもの、それは…。
暗闇の中食べた、冷え切った弁当の容器であった。
米粒や焼肉のたれが、机に散っていた…。
明かりがないと、それすら気が付くことができない。
停電の被害の爪痕が、確かにそこに残っていた…。
未だに関西で停電にあわれている方、そして北海道でも停電の余波を受けている方々。
僕の3時間30分程度の停電は、皆さまにとっては微々たるものでしょう。
それでも停電の不便さを、この身を持って体験した。
だからこそ伝えたい。
「頑張ってください!」
こんな遠くの愛知から、こんな小さな塾の日記からのメッセージが届くことはないだろう。
それでも伝えずにはいられない。
「頑張ってください!!」
これが後年、夢現塾で『六名校の大停電』と語り継がれる出来事の全容である。
この出来事は、僕に不安と寂しさと、好奇心ゆえのほんの少しのワクワク感を与え、幕を閉じた。
僕は翌日、防災グッズを買いに行き、山のように購入した。