「先生〜見ました?羽生くん!」
※羽生善治氏ではありません
「金メダルですよぉぉぉ!!!」
決して激しくもない静かな興奮状態の声が事務室の入り口から流れ込んできた。
「すごいすごいすごい!!!!!かっこいい!!!!!」
喜んでいる本人とは裏腹、こんな静かな興奮状態は初めて見る…と目を丸くしてしまった自分がそこにいた。
が、それと同時にぼそっと口から無意識にこの言葉が出た。「羽生選手、やっぱりやってくれたか…」
「羽生くん好きっ♡」「羽生くんかっこいいっ♡」「羽生くんに微笑まれたいっ♡」
みたく、どうも羽生選手は女性たちの母性本能をくすぐるようで、誰もが母親のような気持ちで彼を応援しているように感じる。
もちろん私もその1人なのだが(笑)
しかし、私が好きなのは彼の
「自信溢れる落ち着き」だ。
観客や視聴者に緊張を感じさせないあの
「自信」。
「自信」しか感じられない滑り出し。最後の最後のフィニッシュまでに込められる
「自信」。
「自信」溢れるインタビュー。
失敗してもしなくても、いつも彼の周りには
「自信」オーラに包まれている。
私はそれが大好きだ。見ていてこんなに気持ちがいいものはない。
満足のいく演技ができなくとも、落ち着いて反省点を見つけ
「次は絶対ミスはしないから」と言うかのように、また違う
「自信」を見せつけてくる。
そんなわけか、世間では「ここぞという時にきめてくるスター性のある人」という認識なのだろう、「同じ人間とは思えない」という声がインターネットではよく上がっている。
羽生結弦「だから」…
誰もが一度は聞いたこと、または言ったことのあるこの言葉。
「あの子は頭がいいから」「あの子だからできるんだよ」
私はあまりこの言葉が好きではない。
(もともと持っている才能や運が、少なからず関わっているのはもちろんだが)、決してその人たちが特別なのではなく、人から称賛される人たちは人並み外れた苦労、貪欲さ、根性、そして誰にも劣らない努力を必ず経験しているはずなのだ。「他の人とは違う人」なのではなく、
「他の人よりもかっこいい人」なのだ。
中でも、羽生選手があそこまで
「自信」に溢れた姿を見せられるには、私たちが想像し得ないレベルの域の努力があるはずだ。本当に本当に頭が上がらない。
公立入試当日も、自分を羽生選手だと思って
「自信満々」「誰も自分の敵ではない」くらいの気持ちで挑めるといいね。羽生選手の写真を筆箱に入れて、拝んでもいいんじゃないか(笑)
なんて話を中3生にしてみたところ、
「先生、滑っちゃう(不合格になる)じゃないですか」
とひと蹴りされてしまった…
しかし負けじと
「羽生選手は、平昌の演技で転倒しそうになったけど、気合いで耐えたんだよ!絶対に転ぶまいと耐えたんだよ!それだけでも効果がありそうでしょ!」
と対抗した私がいけなかったのか…
「でも、もともと滑ってます。」
とふた蹴り。
うん。
そだねー。滑ってる。
何はともあれ、当日手に握る
鉛筆をひたすら、ひたすら、ひたすらに滑らせればいいのだ!
そして一教科終わるごとに、自信溢れるガッツポーズがでれば尚いい。
さあ、次は君たちの番だ。受験という大舞台で戦う勇気と自信を持っていこう。スケートリンクに出ていく前にコーチ1人が選手を送り出すのとは違って、こっちは7人の夢現塾教師が付いているからね!
みんなで君の背中を押しているよ!