魚を与えるのではなく、釣り方を教えよ。
「老子の言葉」として紹介されることが多いが、実は確かな出典は確認されていないらしい。
それでも、この言葉は本当に素晴らしい教えだと思う。
GW中、甥っ子と釣り堀に行った。
小5生の彼は魚釣りの経験こそあるものの、これまで一度も釣れたことがなく、「よっちゃん(俺)に釣りを教えてほしい!」と言ってきた。
そこで、実家のある埼玉県川口市に昔からある大きな釣り堀へ。
「エサは小さめに丸めること」
「釣り堀の魚は賢いから、食いついた瞬間に竿を一気に上げること」
――この二つだけを教えた。
すると開始早々、まず弟(甥っ子のパパ)が1匹釣り、その後に俺も1匹。
一方、甥っ子はなかなか釣れず、かなり悔しがっていた。
ただ、彼なりに見よう見まねで工夫を重ね、最終的には彼だけが4匹を釣り上げ、俺と弟は最初の1匹だけで終わった(笑)。
帰りの車の中で見せた、甥っ子の得意げで嬉しそうな顔が忘れられない。
本来、子どもには好奇心や学ぶ意欲が備わっていて、成功体験を通じて自信をつけ、成長していくものだと思う。
だからこそ大人は、先回りして失敗を避けさせたり、必要以上に手を差し伸べたりしすぎないことを、常に意識しなければならない。
子どもの頃、『ドラえもん』が大好きだった。しかし大人になってからは、のび太が「ドラえもん、助けて〜!」と何かと頼る場面を見るたびに、少し疑問を持つようになった。
ドラえもんは、のび太の悲惨な未来を変えるためにやって来たはずである。
だとしたら、本来は便利な道具を次々に出して助けるのではなく、「ふざけるな! テメエでやれ!」くらい厳しく叱咤激励した方が、教育的には正しいのではないか――そんなことを考えてしまう。
むしろ、のび太を一番甘やかし、成長を妨げているのはドラえもんなのではないか、とさえ思う(笑)。
ちなみに、「偽物のドラえもん最終回」の話をご存じだろうか。
これは同人誌として制作された非公式作品なのだが、藤子・F・不二雄作品そっくりの絵柄や、最終回らしい展開、感動的な結末によって、インターネット上で大きな話題となった。
結果として、同人誌としては異例の約13,000部を売り上げ、著作権者である 小学館 ・ 藤子プロ 側が著作権侵害を通告する騒動にまで発展した。
もちろん、無断で制作・販売したこと自体は問題だったと思う。最終的に賠償金や謝罪文、誓約書という形になったのも当然だろう。
それでも、俺はこの“嘘の最終回”が個人的にとても好きだ。
YouTubeなどで探せばすぐ見つかると思うが、いろいろ問題もあるので、ここではリンクは貼らず、ストーリーだけ紹介したい。
ある日、突然ドラえもんが動かなくなってしまう。
タイムテレビを通じて未来の世界にいるドラミちゃんに尋ねたところ、原因はバッテリー切れだと判明する。
しかし、旧式のネコ型ロボットであるドラえもんのバックアップ用記憶メモリーは耳に内蔵されており、耳を失っているドラえもんは、バッテリー交換をすると記憶が完全に消えてしまうという。
未来で修理してもらおうにも、なぜかタイムパトロール隊に阻止される可能性がある。
さらに開発者の情報も、「絶対に開示されない超重要機密事項」とされていた。
そんな中、ドラミちゃんは二つの選択肢を提示する。
「記憶を失うことを覚悟で修理する」か、「動かないまま、記憶を守り続ける」か。
一晩悩んだ末、のび太は後者を選ぶ。そして、「いつか自分の力でドラえもんを直す」と心に誓うのだった。
そこから、のび太は人生を変えるほどの努力を始める。
勉強に集中するため、しずかちゃんからの誘いを断ることもあった。
やがて出木杉くんを超える成績を収め、「もう君にはかなわない」と言われるほどになる。
さらに年月が流れ、40代後半になったのび太は、世界トップクラスのロボット工学者となっていた。
そしてついに、記憶を失わせることなくドラえもんを修理することに成功する。
妻となったしずかちゃんが見守る中、のび太がドラえもんのスイッチを入れる。
するとドラえもんは、いつものようにこう言うのだ。
「のび太くん、宿題は終わったのかい!?」
その瞬間、のび太は子どもの頃に戻ったように、ドラえもんを強く抱きしめる。
この話をかなり前にYouTubeで知った。
もちろん公式ではない“偽物”の最終回だ。
それでも、あののび太が、「大好きなドラえもんを助けたい!」という強い思いを原動力に、努力し、学び、成長していく姿には強く心を打たれた。
ドラえもんに助けてもらうだけだったのび太が、自分の力で未来を切り拓いていく。
その姿は、まさに「魚を与えられる側」から、「自分で釣れる人」へと変わっていく過程そのものだった。だからこそ、この話は今でも深く心に残っている。
目の前の生徒たちに対しても、さまざまな授業を通じて、魚を与えるのではなく、釣り方を教えること――それを今夜も胸に刻みながら、授業をしている。