年が明けてからもうすぐ1か月となるが、お年玉の残り具合はいかがだろうか?(笑)
記憶のある限り、私が学生だった頃は大体毎年3万ほど。うち1万円は母親が貯金にまわしてくれ(当時は母が好きに使っていると思っていた)、残りの2万は好きに使っていい金額だった。
振り返ると、こまごまと買わずに大きいものを1つや2つ買って2万を使い切っていたなぁという印象だ。
ゲームボーイカラー、CDプレイヤー、iPod…など電化製品が特に多かった。
現代を生きる子どもたちはどうなのだろうか?
以前出した小学生の宿題である作文にはこんな使い方が書いてあった。「ゲームセンターのUFOキャッチャーでほとんど使い切ってしまった。」と。
また、中学生の子と話しているときはこんなことを言っていた。「すべてロト6に賭けてやろうと思います。」と。
たった1日で急に大金を手にできるお年玉という文化。お小遣いとは全く違う感覚。なんてワクワクする文化なのだろうか。
それと同時に、その得た大金をどうするのか、何に使っていくのか、を考える機会を与えてくれる人生で最初のお金に関する学びなのだろう。
好きな物を沢山買ってみる。物ではなく、映画を見たり、友達と遊んだり、思い出という名の経験を買ってみる。あえて使わずに貯めてみる。本当に使い方は様々だ。
が、今30代の私はこう思う。一番残るのは『経験』だと。
思い返すと、バッグやら服やら、色々な物を買ってはきたが、そこに強烈な思い出はない。
それよりも、遊びや旅行、現地で食べた美味しい料理のこと、急なトラブル、話した何気ない会話、心震わされた景色や映画や舞台、そして音楽などこそ、「素晴らしかったなぁ」「楽しかったなぁ」と思い起こされるときのほうが比べられないほど多い。
自分が死ぬときに頭をよぎることは、「あのバッグ買って良かったなぁ」「あの服買ってよかったなぁ」ではなく、「最高の人生だった」「楽しい人生だった」でありたいものだ。
こういう考えになったのも、お年玉でとにかくほしい物だけを買ってきた経験、お年玉よりもさらに金額が大きいアルバイトのお給料で、物だけでなく、経験を買うようになったこと。そして今は社会人として、どうしたら人生を豊かに出来るのかをお金を通して学んでいる途中だ。
せっかく貰ったお年玉。存分に自分の心ときめくことに使ってみよう。それだって経験の一つ。
そこから、
自分の心が本当に満たされる使い方を知っていけばいい。
お年玉は、単なるお金以上の意味を持っている文化なのかもしれない。
若い頃の使い道に感じたワクワクも、今となっては自分の人生をどう彩るかを考える貴重なきっかけになっている。そして、物に使うお金も、経験に使うお金も、結局は自分がどう生きるかに直結しているのだろう。
お年玉をもらったその瞬間のワクワク感を大切に、今後も自分らしい使い方を見つけていってほしいものだ。