日日是好日(にちにちこれこうじつ)は、禅語のひとつ。
「日日是好日」は表面上の文字通りに捉えると「毎日毎日が素晴らしい」という意味である。
しかしこの言葉の解釈がいくつもある。
「毎日が良い日となるよう努めるべきだ。」と述べている解釈。
さらに進んで「そもそも日々について良し悪しを考え一喜一憂することが誤りであり、常に今この時が大切なのだ。」というもの。
あるいは「あるがままを良しとして受け入れるのだ。」という解釈。
5文字の漢字の言葉でさえ、いくつもの解釈がある。
世の中のことは、いくつもの解釈が存在していると感じている。
例を1つ挙げるならば『授業』。
『授業』についても、解釈はいくつもある。
塾教師にとって『授業』は、“誰の為”“何の為”にするものなのか?
子どもの為なのか、保護者の為なのか、自分の為なのか、仕事の為なのか、社会の為なのか、日本の未来の為なのか…。
解釈はたくさんある。
それがすんなり答えられる人もいるだろう。
しかし僕には答えが出ない。
子どもの為と言っても、今日の単元の為、次の定期テストの為、学校生活の為、私生活の為、入試の為、高校になってからの為、社会人になってからの為…。1つの授業にどこまで詰め込めるかを考える。
いろいろな角度から、いろいろな解釈を考える。
“この単元はここだけ教えれば良い”という魂のこもっていない授業はしたくはない。
時には子どもの気持ちになり、時には親の気持ちになり、時には人生の先輩となり『授業』をする。
根本は1つ。
僕に、僕らに、夢現塾に、かかわってくれた人達全員を笑顔にするということ。
そのために毎日を全力で生きていく。
皆の毎日が良い日となるように考えながら生きていく。
僕の日日是好日である。