3月8日火曜日、前日の夜から続く霧は自宅のまわりをまだ覆い尽くしていた。
いつもなら窓から見える近所のスーパーも、真っ白な霧のむこうにかすんでいる。
朝食もとらずに急いでしたくをして、妻とともに車に乗りこむ。
道中の23号バイパスもすっかり白いもやに包まれ、道路だけが雲の中に浮かんでいる・・・まるで夢の中にいるかのような幻想的な景色の中、一路豊橋へと向かった。
先週の土曜の昼過ぎ、めったに鳴ることのない僕の携帯電話が鳴った。
スマホに映ったその番号は母の携帯番号。
あわてて電話に出ると、母のすすり泣く声ですべてを悟った。
祖母が亡き祖父のもとへと旅立ったのだ。
認知症を患いながらも、ずっと僕の結婚を心配していた祖母。
今年の元日に結婚式の写真を持っていったその報告が、僕の最後のおばあちゃん孝行になってしまった。
また、文字を書くことや勉強が好きだった祖母。
戦前に覚えた神武天皇から昭和天皇まで124人の天皇を、全て覚えていることには驚かされたものだった。
勉強が好きだったが当時は戦争まっただ中、今でいう高校や大学の進学を、泣く泣く諦めたとも親戚から聞いた。
勉強がしたかった・・・そんな祖母は脳梗塞を患う82歳までは、俳句を書いては新聞などに投稿し、何度も掲載されていた。
それから5年・・・。
おばあちゃん、長い闘病生活お疲れ様。
天国のおじいちゃんと仲良くね。
今、日本は平和で、ほとんどの中学生が高校に進学できて、夢現塾でもたくさんの中学生が明日の高校入試A日程にむけて頑張ってるよ。