つい2週間前ほど、人生で初めて歯を抜いた。私をここ数日苦しめていた親知らずである。
突然炎症を起こし始め、顔の右半分全体が痛くなってきたため、耐えきれずに歯科医院の門を叩いた。
薬だけもらうつもりが、「来週抜きましょうね。都合がいい日はいつですか?」と言うロン毛の歯科医に「嫌なんですけど。」と拒否する勇気も、患部が再び炎症するのでは…という恐怖には打ち勝つことができなかった。
「歯を抜く。」なんて怖い行為だろうか。
まだ乳歯だらけだった頃の私は、ぐらぐらする歯を抜くことすら恐れていた。
「早く抜きなさい!ほら、口開けて!私が押してあげるから!」という母の要求に、大号泣しながら逃げ回っていたことを今も思い出す。
この状況になると、母は決まって笑顔でこう言うのだ。「分かった。じゃあどんな具合か見てあげるから口を開けてみて!」と。
この一言は泣きじゃくる私を何度安心させ、何度絶望させたことだろう。
数秒後。素直に口を開けたばかりに、母の手によってとどめを刺された歯を右手に乗せ、顔面を涙でぐしゃぐしゃに濡らした私がそこにはいた。
そんな記憶がトラウマとなり、
「歯を抜くこと」=「恐怖」しかなかった。
歯科医による、抜歯宣言は私を恐怖のどん底に突き落とした。大袈裟すぎる?この表現なんてかわいいものだ。それほど私は歯を抜くことに恐れおののいた。
「親知らず抜歯経験者」という偉大な先人たちにアドバイスやら経験談を聞き、安心感を得ようとした。が、失敗。
・大きな穴が開く
・麻酔が痛い
・「ゴガゴガゴゴゴ!」という大きな音が聞こえてくる
・血が止まらない
・顔がパンパンに腫れる
・麻酔が切れた後が痛い
・抜いた後はウィダーインゼリーしか飲めないぐらい痛い
など、辛いコメントが私をさらに追い込む。しかし、私の周りを取り囲む抜歯経験者人数を考えると、乗り越えられない出来事ではないのかもしれないと、どん底にいた私にもだんだんと勇気が込み上げてきた。
いざ当日。待合室で待機する私のスマホの検索履歴は「親知らず 抜歯 痛い」「親知らず 抜歯後 痛み」「抜歯後 食事」で埋め尽くされていた。
1時間後、ケロッとした私がそこにはいた。
「ウィダーインゼリーしか食べられない」と買い込んだことすら忘れ、黙々とピザを頬張る自分がいた。
翌日。先人たちの言う通り、顔がパンパンに腫れ、若干ではあるが痛みがで始まる。が、悶えるほどでもない。
あれほど恐れていた抜歯も、終わってしまえば人生の経験値が上がったような感じがし、少しまた大人になったような気がした。
歳を重ねていくと、「初めて」の経験に遭遇することが少なくなってくる。
「初めて」には少なからず不安や恐怖を伴うものだ。その経験を終えた後の感情や様子が想像できないからだろう。
つい最近、「初めて」の中間テストを終えた中1諸君。「初めて」のMJテストを終えた小学生諸君。
始まる前はどういう感情だっただろうか。怖かっただろうか。楽しみだっただろうか。
人は「初めて」を乗り越え、経験値を増やしていくことで、学び、成長していく。今回のテストから学んだことは何かあるだろうか?
「初めて」を終えたあとに「次はこうしよう。」が多ければ多いほど人ほど成長する機会が大いにあるということだ。その機会を活かし、さらに次へ次へと進んでいこう。
またすぐそこには期末テスト、第二回MJテストが差し迫っている
。同じ反省、同じ過ちは繰り返さないよう、今回の「初めて」を活かしていこう。私は…もう二度と抜歯を経験したくないので、口内衛生を整える努力をしようと思う(笑)