「♪屋根より高い、鯉のぼりー」
端午の節句(子どもの日)の歌といえば、世間ではこの曲がメジャーだろう。
私もそうだった。
しかし、まだ私が中学3年生だった頃のこと。学年合唱でチョイスされたのは何故か「鯉のぼり」。どんなチョイスなんだ?という未だ解明されない謎は置いておいて、この「鯉のぼり」とは全く別物の楽譜を先生から受け取った。
意味不明の歌詞が連なる楽譜。
「甍の波と雲の波??意味すらわからんね。」と友人。
中3の私たちには、歌詞の意味を考えようなんていう発想はそもそもなかった。
さらに、文語調な言い回しが歌詞の暗記を苦しませた。
ただ、脳の活動が絶好調期の中学時代にこの歌を覚えたため、鯉のぼりを上げている家があると、このマイナーな方の「鯉のぼり」をつい口ずさんでしまう。
我が家にも長男(私の兄)がいるため、毎年この時期になるとベランダを鯉のぼりが悠々と泳いでいたのを鮮明に覚えている。
そして、和室には兜をかぶった結構大きめの五月人形が置かれ、その子が所持している刀と、人形の周りを彩る付属品として置かれている大きめの刀でよくチャンバラごっこをやっていた。子供の頃は、毎年、そのチャンバラと柏餅が楽しみだった。ただそれだけ。むしろ、5月と3月(雛祭り)には、リアルな人形が和室に置かれているということが怖くもあった。
そんな記憶しかない端午の節句がもうすぐ近づいている。
つい先日のことだ。
「今日○○に立派な鯉のぼりが飾られていたよー」と母が話を振ってきたのだ。
最近は鯉のぼり自体をそもそも見ないため、「へー珍しいねー」と答えた。
ふと、あの懐かしい端午の節句の記憶が舞い降りてきたため、「昔はよくベランダに鯉のぼり出してたよね」と付け加えた。
すると母はこう答えた。
「うちは町内のどの家よりも一番に鯉のぼりを出してたよ。絶対。お兄ちゃんが誰よりも早く出世するようにって想ってね」と。
その願掛けあってなのか、実際に今現在兄は、東京にある大手企業で誰よりも早く出世しているそうだ。
ちなみに、雛人形は早く仕舞わないと婚期が遅れるというが、実際我が家の雛人形は妹のもの共々、1ヶ月ぐらい外に出ている(笑)
妹がこの件に関して母に問い詰めたところ、「ああ、女の子たちはいいっかなって。」と全力な笑顔を見せた。
まあ、そんな母と取り残された季節外れの雛人形のおかげで今私は自由人代表のように生きているのかもしれない…(苦笑)
3月も5月も、子供にとっては、”親がいろいろ装飾している日”という認識しかなかったが、今となると「親の想いがこもった日」に感じる。
昔から現在までこれらの行事が続いている理由は、どの時代でも親は子供が無事に成長してくれることを願っていることに変わりはないからだろう。
子供時代には分からなかった、マイナーな方の「鯉のぼり」の歌詞。
“百瀬(ももせ)の滝を登りなば、
忽(たちま)ち竜(りゅう)になりぬべき、
わが身に似よや男子(おのこご)と、
空に躍(おど)るや鯉のぼり。”
“たくさんの浅くて流れの速い場所(瀬)が続く滝を登り切れば、
たちまち竜に変わる、
私のようになりなさい、男の子よ、と
鯉のぼりが空に勢いよく跳ねている。”
私たちは夢現塾生の親ではないけれど、夢現塾は生徒のことを我が子のように考え、生徒がどうしたら幸せになれるかを一番に考えている。
私が内部の人間だから褒めているわけではない。最近は特にそう感じることが多い。
対面で授業もできない。自習室も開けない。
塾としては困難な状況でも、オンライン授業の配信への切り替え、オンライン自習室の開設。そしてそれを全力で楽しむ教師たち。
「こんな時こそ笑おう」ではなく、
「どんな時でも夢現塾生を笑わせたい」そんな想いが夢現塾には溢れている。
夢現塾は今日も笑顔でいっぱいだ。
目の前にはいなくても、画面越しでも、笑顔にしたい相手がそこにいるから。