先日、おかざき世界こども美術博物館(通称:こびはく)で開催されている「はしもとみお木彫展」へ行ってきた。
この美術館には子どもの頃から何度も足を運んでいる。
幼稚園の頃は、ただ遊びに。小学生、中学生の頃には、毎年開催される「おかざきっ子展」を見に。
私にとっては、美術館というよりも、子どもの頃の思い出がたくさん詰まった場所である。
そんな“こびはく”の地を、21年ぶりに踏んだ。
「あれ?こんなに小さかったっけ?」
不思議な感覚。何もかもが小さく感じるのだ。
私の身長は中学生の頃からほとんど変わっていない。それなのに、建物も、広場も、遊具も、当時よりずっと小さく見える。
けれど、雰囲気は昔のままだった。独特の、どこか不思議な空気。
そして、何より懐かしかったのが「妖精の棲む浮かぶ島」だ。
幼い頃、兄と何度も何度も遊んだ場所。島の中を探検したり、周りを走り回ったり、何があるのかとのぞき込んだり…
ところが、久しぶりに訪れてみると、かつてそこにいた妖精(映像)はいなくなっていた。
(時代の流れだろうか?直せないのだろうか?)、不気味なほど静かで奇妙なこの場所で、そんなことを考えながら、それでも、島の中をのぞき込む少年の姿は、今も変わらずそこにいて、思わず微笑みながら少年を撫でている自分がいた。
そんな懐かしさに浸りながら、館内へ。
正直、はしもとみおさんのことを、全く存じ上げなかったのだが、「かわいい動物の木彫りが見られるらしい」、そんな軽い気持ちで訪れたこの企画展。しかし、自分でも驚いたが、展示室に入室早々、なぜか涙が止まらなくなってしまった。
木彫りの動物たちが、本当に生きているように見えたのだ。
毛の質感。身体の丸み。こちらを見つめる表情。今にも動き出しそうなほど、一体一体に「命」があった。
すでに亡くなった動物たち、または現在も存在している動物の姿をそのまま木に刻み、後世に残していく。
作品を見ていると、はしもとさんの「この命を残したい」という思いが、そのまま作品からあふれ出しているように感じた。
はしもとさんは、「
作品を残し続けることが、ときには”魔法使いのような役割”であり、自分の使命でもある。」と語っている。
その言葉の意味が、作品を見ていると分かる気がした。
写真とは違う。映像とも違う。
木の中に刻まれたその動物は、何年、何十年と時間が経っても、そこに残り続ける。
その動物が生きていた時間まで、未来へ渡していく。
「命を残す」ということの重みを感じずにはいられなかった。
また、はしもとさんはこうも語る。
「
動物は、人間のように過去のことをいつまでも引きずったり、まだ起きていない未来を心配し続けたりしない。
その瞬間を全力で生きている。昨日嫌なことがあったとしても、次の日には何事もなかったかのように”遊んで!”とやってくる。
人間は、過去の失敗や未来への不安を抱え込みすぎてしまう。」と。
たしかに、私自身も「あのときこうしておけばよかった」と考えたり、「これからどうしよう」と悩んだりすることがある。
しかし、どれだけ考えても、過去に戻ることはできない。
だったら、今日をどう過ごすか。今日一日をどんな気持ちで終えるか。
その積み重ねのほうが、ずっと大切なのかもしれない。
彫刻は一度削ってしまえば、元に戻すことができない。だからこそ、作品をつくることは、決断の連続なのだという。
「失敗したくない」と思いすぎると、次の一手が出せなくなる。
それは人生も同じ。
失敗をしないように立ち止まり続けるのではなく、失敗も含めた過程そのものを楽しみながら、一歩ずつ進んでいく。
そんな考え方にも、強く共感した。
中間テストが終わったみんな、お疲れ様。
テスト期間中、自習室で遅くまで頑張っていた姿をたくさん見た。
思ったように解けた問題もあれば、悔しい思いをした問題もあるだろう。
でも、大切なのはここからだ。
「間違えた。終わり。」ではなく、「なぜ間違えたんだろう」と一度立ち止まってみる。
計算ミスだったのか。覚え間違いだったのか。
そもそも解き方が分かっていなかったのか…
そして、もう一度自分の手で解いてみる。
テストは、点数をつけるためだけのものだけではなく、できなかったことを知り、次にできるようにするためのものでもある。
失敗した問題をそのままにしてしまえば、それはただの「間違い」で終わってしまう。
でも、そこからもう一度向き合えば、その間違いは次の自分をつくる材料になる。
過去の結果をいつまでも引きずる必要はない。
悔しかった人も、思うような結果ではなかった人も、まずは今日から一つずつ。
動物たちがその瞬間を一生懸命に生きているように、私たちも目の前の一日を大切にしたい。
