「標高940mにあるこの鉄塔は61mで、ロープウェイの鉄塔の高さとしては、日本一であり・・・」
おそらくこのようなアナウンスが流れていたと思うが、そのようなアピールをしなくても十分高いことは見れば分かる。ここは三重県の御在所ロープウェイのゴンドラの中。「山頂の紅葉がすばらしい」という謳い文句に心を奪われ、2泊3日の旅行の締めくくりとしてこの場所を選んだことを、ただただ後悔していた。
以前の日報に書いたが、僕は高所恐怖症である。それでも今までロープウェイで「怖い」と思ったことはなかった。が、ここは違った。キレのある角度、高さ、そして年季の入ったゴンドラと恐怖をあおる3拍子が揃っていた。スタートして15秒ほどでギブアップである。「『15分間』の空中遊泳をお楽しみください」おそらくこのようなアナウンスが流れていたと思う。
ある人は言うだろう。「高所恐怖症なら、目を閉じればいいじゃないか。」と。
そういう問題ではないのだ。余計な想像をしてしまうのだ。「ここでロープウェイが止まったら」から始まり、「ゴンドラの扉がいきなり開いたら」「ロープが切れたら」の基本から、「あの鉄塔を作った人たちは命綱をつけていたのか」「じゃあスカイツリーを作った人は…」などなどの応用まで、高さと恐怖を結びつけるさまざまな想像をしてしまうのだ。
この余計な想像力のことを授業で話すと、高所恐怖症の生徒たちが共感してくれたことにはさすがにうれしかった。
せっかくの想像力をもっと必要な場面で働かせたいと思いつつも、この余計な想像力は、実は必要な場面での想像力の源となっているのかもしれない、と思ったりもする。
前日に行ったアドベンチャーワールドでパンダに癒されながらも、パンダの目の黒い部分が上や下にずれていたらかわいいのだろうか・・・と、黒い部分を微妙にずらしたパンダを想像していたことは間違いなく余計であろうが。