毎年、地理の授業では「アジア州」「ヨーロッパ州」「北アメリカ州」等々、世界の地域ごとに分けて単元が進んでいく。教科書を開くと、昔訪れた場所の光景がいくつか目に飛び込んでくる。私にとっての地理の教科書は、世界のガイドブックと言っても過言ではない。
しかし、残念ながら写真だけでは伝わらないものもある。
その土地に漂う匂いや雰囲気、そこに住む人々の様子や人柄などは実際に足を踏み入れ自分自身が経験してみなければ本当のところは分からないのだ。
知識だけではなく、リアルな雰囲気を想像してもらうため、私が実際に訪れ、その国で感じたことや経験したことはできる限り生徒に伝えたり、写真を見せたりしてはいるが、毎年のこと、生徒たちが衝撃を受けた表情をするのは決まって同じ国である。
そう、インドと中国だ。人口が多い国というのはやはり、考えや文化も千差万別だからなのだろうか。私たちが考えもしないカオスな光景が広がっていることはよくある。
実際の地理の教科書に書いてあることはこうだ。
“ヒンドゥー教は,インドの80%以上の人が信仰している宗教です。ヒンドゥー教では,牛は神の使いとされ,ヒンドゥー教徒は牛肉を食べません。”
「へー、牛は神様のような扱いなのか。」と知識を詰め込むだけならばそれだけで終わる話なのかもしれない。が、実際インドを訪れてみればその神様が街中を普通にうろついていることに驚くだろう。日本であれば、車と並走するのは車。インドでは牛だ。車の横を牛が全速力で並走している。とはいえ、インドでは車よりも「オートリキシャ」(戦後に見られたオート三輪という車の窓無しバージョン)
が主流のため、オープンカーでサファリパークを爆走している気分を日常的に味わうことができる。駅のプラットホームだろうと線路だろうと神様にはどこにいっても会えるのだ。
しかし、そんなことは教科書だけの知識では分からない。牛肉を食べないということは、鶏肉や豚肉を食べるのだろうということの想像はたやすいが、まさか道端でその鶏の頭を切り落としている光景が当たり前のように見られるとは誰も思わないだろう。
地理だけではない。歴史の教科書に登場する万里の長城はこうだ。
“秦は,戦国時代の各国が北方の遊牧民の侵入に備えて造っていた長城をつないで,万里の長城にしました。”
という説明文と共に、美しい写真が教科書には掲載されている。しかし実際に行ってみると、万里の長城へ登るルートは3つあり、徒歩、ロープウェイ、そしてジェットコースターというトリッキーな選択肢が紛れ込んでいるとは到底思わないだろう。始皇帝が生きていたとしたら、現在の長城に何とコメントするのだろうか(笑)
当時、北京にひとりで乗り込んだ私は、出来る限りの英語を駆使して、大連在住のカップルに助けてもらい、「このチケットを買うといい。」と言われるがまま私は財布からお金を出すと、券売所のおばさんがカラフルなチケットを差し出した。それこそ、中国人たちが笑顔でジェットコースターに乗っている写真がついたチケットだったのだ。
が、乗ってみて分かったことがある。このジェットコースターの恐ろしいところは、浮遊感や、高度感などではない。おじさん自らの腕による「抱っこ」での乗降であった。
しかし写真で見たことしかなかった万里の長城は、思っていた以上にはるかに大きく、長く、美しく、歩きにくく、落書きが多い場所だったのだ。
これはほんの一握りの体験ではあるが、全て経験しなければ分からなかったことだ。
机に座り、教科書やテキストを見て、知識を詰め込む。テストで点を取るだけならばそれでいいのかもしれない。しかし、教科書で学んだことだけでは分からないことがこの世には沢山ある。「こんな勉強いつ使うんだ?」と誰もが一度は思ったことがあるこの問い。
何年後だよ!この日かもよ!と、明確に言うことは正直言って難しい。
だが、その
学んできた「知識」の上に「経験」が乗っかることで、ただの知識は人生を豊かにしてくれる大きな原料となる。
興味がないこともあることも、知らないよりも知っているほうが人生は確実に楽しくなっていく。今学んでいることは必ずどこかで活きてくるはずなのだ。
君たちの歩む人生、そしてその人生を形成していくこの一日一分一秒、もっともっと貪欲に学び続けよう。