この春になると思い出す、3.11.東日本大震災。
あの日、2011年3月11日の昼間。私は一宮市にいた。
とある校舎の1階で長時間揺れ続ける事務室内を見守りながら、ただならぬ雰囲気を感じていた。
夕方からは何事もなかったかのようにいつも通り授業をして、帰宅した。
帰宅して、テレビをつける。どのチャンネルも同じような映像が流れている。
テレビの映像に言葉を失った。
これはフィクションなのか?現実なのか?
車も住宅も津波で流されている。
一体どうなっているんだ?
あの日から2年経過した2013年、5月20日。今から7年前。
私は一人で福島県へと向かった。
理由はただ一つ。教育者の端くれとして震災の状況をこの目で見て、伝えられることを生徒に伝えたい、この思いだけだった。
名古屋港から太平洋フェリーに車をのせて、仙台港へ向かう。
丸一日の船旅。震災から2年経過した街並みは震災当時とどのように変わっているのだろうか?
何とも言えない緊張感の中、フェリー内ではほとんど一睡もできなかった。
仙台港に到着して、福島県の伊達市を目指した。ここで所用を済ませ、夜中に郡山市へ向かう。その夜は郡山市のビジネスホテルに泊まり、翌日、福島第一原発を目指した。
もちろん、原発付近は立ち入り禁止区域ばかりであったため、途中、何度もUターンをさせられた。
「震災の爪痕が残っている場所はどこにあるんだろう?」
「たとえ、その場所が存在していたとしても立ち入り可能な場所はあるものなのか?」
途方に暮れていた時。
偶然入った土産物屋の店員さんからこんな情報を手に入れた。
「JRの富岡駅へ行ったらどうですか?駅は震災当時のまま残っていると思いますよ。」
このまま愛知県に帰ることはできない。
貴重な情報ありがとうございます。深々と店員さんに頭を下げてから、カーナビを頼りに「JR富岡駅」を目指した。
駅に着いた時の光景はまさに・・・
「絶句」
そう・・・
「絶句」
周りには人がいない。
本当に誰もいない。
信号機は点滅したまま。
車は無造作にひっくり返った状態で放置。
自販機もすべて、点滅状態。
犬が寂しそうに歩いていた。
映画の世界に迷い込んだ状態だった。
ここに俺はいてもいいものなのか?
しばらくして恐怖を感じて、一目散にいわき市へ向かった。
いわき市のコンビニは普通に営業をしていた。
当時の貴重な映像はこのUSBの中にある。
何かの機会に使えないものだろうか?
私が福島県に行ってから7年弱が経過。
その間、被災地関連の番組がテレビで取り上げられるたびに意識してチャンネルを合わせた。
先日、2013年、あの日見た・JR富岡駅がいよいよ復旧したとの知らせをテレビで聞いた。
何とも言えない熱い思いが込み上げてきた。
「もう一度、富岡駅が見たい」そんな気持ちにさせられた。
先日の新聞によると、まだ2500人以上もの人たちが行方不明になっているとの情報を聞き、身につまされる思いがした。
もっと、生きたかった。
そんな思いで天国に旅立った人たちが何人いたのだろうか?
東日本大震災、日本人として決して忘れてはいけない出来事だと思う。
今日、あなたが無駄にした一日は、誰かが生きたかった貴重な一日。
何かの本に書かれていたフレーズを思い出す。
今、夢現塾に通う小学生・中学生は思いもよらない長期の「春休み」を手に入れた。
勉強ばかりやる必要はないけれども。
長編の小説を読む。
名作と呼ばれる映画を見る。
パソコンの初歩の動作を学んでみる。
体を鍛える。
料理を覚える。
などなど。
今までやりたくてもできなかったことに是非、チャレンジしてほしい。
そして、有意義な時間を過ごしてほしい。
もし、自宅に中日新聞があれば、昨日の朝刊の27面を見てほしい。
「積み上がる思い450冊」
母親の息子に対する愛を感じることができると思う。
もし、漫画が好きならこの本を読んでほしい。
「いちえふ」
福島第一原発の作業員の壮絶さを感じ取ってもらえると思う。
もし、映画が好きならこの作品を見てほしい。
「Fukushima50」
日本人のすごさを感じてもらえると思う。