前回のブログで福島県の会津若松市を訪れたことを書いたが、「城好き」「文化財好き」「幕末史好き」の僕にとって「会津」はパラダイスであり、小学生の頃からずっと行きたい場所の1つであった。しかし距離と時間と財布との相談がやけに長引き、ようやく去年、約30年越しの念願を叶えたのである。
「幕末」とは江戸に幕府があった江戸時代の終わりのことであり、今から約150年前に新政府軍(明治政府)と旧幕府軍との戦い=「戊辰戦争」の大きな戦場の1つとなったのが会津である。白虎隊の悲劇、新選組残党の奮戦、女スナイパー新島八重の活躍など伝えたいことは山々であるが、このブログでは断腸の思いで割愛することにしよう。
ざっくりと言えば日本の国内で東西に分かれて戦争をしたのである。新政府軍の中心は薩摩(鹿児島県)、長州(山口県)を中心とする主に西日本の藩で、旧幕府軍の中心は東北地方の諸藩であった。結局この戦いは新政府軍が勝利して国内を統一し、東京が首都となって近代日本の幕開けとなるのである。
さて、この戊辰戦争の原因は非常に複雑なのだが、東西に分かれて戦争となるに至る理由の1つに、東西陣営の「情報」の格差が指摘されている。江戸時代の中心は江戸(東京)であるが、ペリー来航以来の幕末の政治の舞台は京都に移った。後に志士と呼ばれる主に薩摩や長州の権力をもつ武士(今年の大河ドラマの主役西郷隆盛など)が京都に集まった。「幕府はいらない!」「外国に負けない新しい国づくりだ!」京都では日に日に目まぐるしい動きがあったのである。
そのような京都の「情報」は、インターネットもないこの時代では地理的条件によって情報の「量」「質」「正確性」において大きな差が生じる。京都、そして薩摩や長州に近い西日本の多くの藩は情報をつかんで新政府軍に加担し勝者となり、逆に情報が届きづらい東北地方の藩の多くは新しい流れに乗れず動きを見誤り、結果的に旧幕府軍となり敗北したのだった。
そして時代は流れ情報社会の今。情報の「量」「質」「正確性」はもちろんのこと、その情報をいかに活かせるかが勝敗の分かれ目となる大きなウェイトを占めている。
授業内容、教師のアドバイス、進路指導、先輩からのメッセージなどなど…。夢現塾は情報の宝庫だ。そして先日返却された全県模試の結果。この情報を次に活かさずして夢現塾生と呼べるだろうか。いや活かすからこそ夢現塾生なのだ!
そう「次」とは3年生にとっての「高校入試」、1・2年生の「学年末テスト」、そして小学生の「漢地獄&MJテスト」だ!
そんなこといちいち書かなくても分かっているよ。と思った諸君。それもまた夢現塾生の証だ。結果を楽しみにしているぞ!